万延に改元(1860年3月18日)
安政7年3月18日(1860年4月8日)、黒船来航以来で国内が混乱する中で「江戸城火災」「桜田門外の変」など災異(凶事)が続いたため第121代天皇の孝明天皇の強い意向で元号が万延に改元が行われました。このときの江戸幕府の将軍は第14代の徳川家茂です。
翌年の1861年は辛酉革命による改元の年であることから、万延の改元しても1年足らずしか続かないため朝廷や幕府の中には異論を唱えるものも少なくありませんでした。しかしながら孝明天皇はこれを聞き入れず災異改元を行いました。
幕府の大老の井伊直弼が孝明天皇の勅許を得ないまま安政5年(1858年)6月に日米修好通商世条約を締結しました。これに対して攘夷派や尊皇派が反発すると、直弼は幕府に反対するものを粛正・弾圧する「安政の大獄」を行いました。直弼の幕政への不満が高まり、直弼は安政7年(1860年)3月に「桜田門外の変」で暗殺されたのです。
幕府の権威が低下すると幕府は政局の安定を図るため朝廷と幕府で国を治める公武合体を考えるようになり、幕府は万延元年に朝廷に対して仁孝天皇皇女で孝明天皇の異母妹の和宮を徳川家茂の正室とすることを要請しました。孝明天皇は当初は反対していましたが、国の政治を朝廷で行うことは難しいことから公武合体に理解を示し、幕府に対して攘夷鎖国を条件にこの要請を了承しました。
万延2年2月19日(1861年3月29日)、幕政が混乱する中で慣習通り辛酉革命で改元が行われ元号は万延から文久となりました。
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