第9話「浪士組西へ」|明日なき戦いの果てに
近藤勇は天保5年(1834年)10月5日に武蔵国多摩郡上石原村(東京都調布市野水)に農家の三男として生まれた。幼名は勝五郎とし後に勝太と改めた。嘉永元年(1848年)11月に天然理心流剣術道場の試衛場に入門、万延2年(1861年)に流派一門の宗家を継いだ。
土方歳三は天保6年(1835年)5月5日に武蔵國玉郡石田村(東京都日野市石田)の農家の末子として生まれた。姉が嫁いだ天然理心流の佐藤彦五郎の道場に出入りし、ここで彦五郎と義兄弟の契りを結んでいた勇に出会った。安政6年(1859年)3月に天然理心流に入門した。
文久3年(1863年)、徳川家茂は朝廷から攘夷実行の一任を取るため第3代将軍徳川家光以来229年ぶりに上洛することになった。同年2月、勇と歳三は試衛館の同志たちと家茂の上洛警護のために結成された浪士組に応募したが、浪士組を集めた清河八郎は実は倒幕と尊王攘夷の志を持っていた。浪士組が京都壬生(みぶ)に到着後、八郎は生麦事件で横浜に現れた英国艦隊を攘夷するため将軍警護を行わず江戸に戻ることを告げた。浪士組の目的が尊皇攘夷運動であることが露呈し芹沢鴨や勇が反発した。浪士組と江戸に戻った八郎は同年4月に幕府の刺客に暗殺された。浪士組は江戸の治安警備を担う庄内藩の新徴組となった。
鴨、勇、歳三らは京都残留を決め京都守護会津藩藩主松平容保の預かりとなり壬生浪士組と呼ばれる治安維持組織を結成した。文久3年(1863年)、強行的な攘夷派の公家や長州藩を京都から追い出す八月十八日の政変へ出動し会津藩から新撰組という隊名を授けら同年9月25日に改名したと伝えれている。新撰組とは会津藩で本陣を守る武芸に奏でた優秀なものたちに与えられていた隊名だった。
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