第1話「江戸湾を警備せよ」|明日なき戦いの果てに
日本と西洋の関わりは天文18年(1549年)のカトリック宣教師フランシスコ・ザビエルの来日に始まる。織田信長は西洋の知識や技術を取り入れるためルイス・フロイスなどの布教活動を認めた。豊臣秀吉は布教の背景に日本植民地化の目的があることを知り宣教師の国外追放と南蛮貿易を禁じるバテレン追放令を天正15年(1587年)に発令した。徳川家康が開いた江戸幕府もスペインとポルトガルの来航や日本人の海外渡航を禁止、外交は長崎での通商国オランダと清、通信国の朝鮮と琉球に制限した。日本は長らく外交を制限したため西洋の新しい知識や技術を得られず、とりわけ軍事面では大幅な遅れを取った。
日本が孤立している間に欧米諸国はアジア進出を進め、江戸時代後期には日本近海に欧州諸国、ロシア、米国の船が現れるようになった開国が国の秩序を壊すことになると考えた幕府は文化7年(1810年)に会津藩に江戸湾警備を命じた。文政3年(1820年)には浦賀奉行所が引き継ぐことになった。文政8年(1825年)、幕府は異国船打払令を発令し日本近海に現れた異国船に無差別に砲撃等を加えて打ち払うこと、異国人が上陸した場合は捕縛して処罰することを許可した。海防と同時にキリスト教が広まることを防いだのである。
天保8年(1837年)、浦賀奉行所は漂流した日本人を届けるために対抗した米国商船モリソン号をイギリス軍艦と誤認して砲撃した。このモリソン号事件で異国船打払令は国内でも批判された。またアヘン戦争で清がイギリスに大敗したことを知った幕府は西洋と日本の軍事力の格差を認識し天保13年(1842年)に異国船打払令を廃止、遭難した船に限って補給を認める薪水給与令を発令し異国船に対して穏便な対応をとるようになった。
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