第3話「黒船が来た」|明日なき戦いの果てに
嘉永6年(1853年)6月3日午後5時頃、相模国浦賀沖に日本人がそれまで見たことのない大きな黒塗りの4隻の船団が現れた。2隻は蒸気外輪フリゲート艦で煙突から煙を吐き出し2隻の帆船を従えていた。黒船来航で知られるこの艦隊はアメリカ合衆国第13代大統領ミラード・フィルモアが日本に開港と通商を求める親書を幕府に渡す目的で派遣したマシュー・ペリー提督率いる海軍東インド艦隊であった。
浦賀奉行所は直ちに中島三郎助とオランダ語通詞の堀達之助を艦隊旗艦サスケハナに派遣した。達之助が旗艦に向かって英語でオランダ語が話せることを伝えると会話はオランダ語通訳で行われ、三郎助は自らを副奉行と称して乗船した。2人は艦隊の来航の目的を聞き出すなど重要な役割を果たしたが、三郎助の階級が低いという理由で親書を受け取ることはできなかった。6月4日、浦賀奉行所与力香山栄左衛門が浦賀奉行と称して訪れたが対応は変わず、ペリーは測量と称して軍艦を江戸湾に侵入させるなどの示威行動をした。
幕府はペリーに久里浜の上陸を認め6月6日に陸海の警備のもと浦賀奉行が会見を行った。親書を受け取った幕府は将軍徳川家慶が病で決断できる状態にないことから返事に1年間の猶予が欲しいことを伝えた。ペリーはこれを了承し1年後に再来日すると6月12日に江戸を離れた。
この黒船来航で三郎助はペリーの軍艦を念入り調べた。海防に危機感を抱いた三郎助は日本も大型軍艦を建造し艦隊を所有する必要性を説いた。幕府は浦賀奉行に洋式軍艦の建造を認め三郎助らが中心となって嘉永7年(1854年)に日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」を完成させた。
Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。
| 固定リンク | 0
「歴史」カテゴリの記事
- 日本の立憲政治の象徴「国会議事堂」が竣工(昭和11年 1936年11月7日)(2025.11.07)
- 吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)(2025.10.27)
- 板垣退助らが日本初の近代的政党「自由党」の創立大会を開催(明治13年 1881年10月18日)(2025.10.18)
- 土方歳三の写真が箱館で撮影された根拠(2025.10.03)
- 北海道開拓精神が込められた「日本一きびだんご」(起備団合)(2025.09.25)
「幕末・明治」カテゴリの記事
- 吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)(2025.10.27)
- 土方歳三の写真が箱館で撮影された根拠(2025.10.03)
- 生成AIに坂本龍馬の絵を描いてもらったら(2025.09.30)
- 北海道開拓精神が込められた「日本一きびだんご」(起備団合)(2025.09.25)
「箱館戦争・戊辰戦争」カテゴリの記事
- 吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)(2025.10.27)
- 土方歳三の写真が箱館で撮影された根拠(2025.10.03)
- 仙台藩が降伏し奥羽越列藩同盟が消滅(慶応4年 1868年9月12日)(2025.09.12)
- 榎本武揚らが仙台城で奥羽越列藩同盟の軍議に参加(慶応4年 1868年9月3日)(2025.09.03)
「明日なき戦いの果てに」カテゴリの記事
- 西郷隆盛死す|西南戦争が終結(1877年9月24日)(2024.09.24)
- 五稜郭公園のクルップ砲のおはなし|明日なき戦いの果てに番外編(2024.07.28)
- 第25話「北へ還れ」|明日なき戦いの果てに(2024.07.20)
- 第24話「千代ヶ岱陣屋陥落と箱館戦争終結」|明日なき戦いの果てに(2024.07.12)
- 第23話「降伏勧告」|明日なき戦いの果てに(2024.07.04)


コメント