第5話「長崎海軍伝習所」|明日なき戦いの果てに
黒船来航後、幕府は海防強化のため西洋式軍艦の輸入を決めた。またオランダの協力により長崎に海軍士官を養成する長崎海軍伝習所を安政2年(1855年)に設立した。
長崎海軍伝習所の初代総監理には永井尚志が就任、オランダから教員が派遣され蒸気船の観光丸が練習船として供与された。伝習所の最初の目的はオランダに発注した咸臨丸と朝陽丸の乗組員養成であり第一期生37名が入校した。勝海舟、矢田堀景蔵、中島三郎助、佐々倉桐太郎、石井修三、小野友五郎、春山弁蔵、浜口興右衛門、岩田平作、山本金次郎、上田寅吉など幕末の海軍を支えた蒼々たる顔ぶれだった。
榎本釜次郎(武陽)も入校を希望したが叶わず聴講生となり翌年に第二期生として入校した。伝習生は第三期まで募集された。第二期と第三期の総監理には木村喜毅が就任した。第二期は伊沢謹吾、榎本武揚、肥田浜五郎、伴鉄太郎、松岡磐吉、岡田井蔵、勝海舟など、第三期は澤太郎左衛門、赤松大三郎、内田恒次郎、合原操蔵、小杉雅之進、田辺太一、根津勢吉、松本良順、勝海舟、五代友厚などが入校している。
安政4年(1857年)4月に築地軍艦操練所が設立されると、長崎海軍伝習所はその役割を終え安政6年(1859年3月)に閉鎖された。長崎海軍伝習所の卒業生達は戊辰戦争では新政府軍、旧幕府軍として参戦し袂を分かつことになったが、彼らは海軍で活躍し伝習所設立の目的である日本の海防を支えた者たちだったことは間違いない。
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