第7話「混乱する幕政」|明日なき戦いの果てに
日米和親条約のもと安政5年(1858年)に初代日本総領事に就任したタウンゼント・ハリスは幕府に通商条約の締結を求めた。穏やかで冷静な態度のハリスの主張を聞いた13代将軍徳川家定や老中首座の堀田正睦は列強から日本を守るためには条約締結はやむを得ないと考えるようになった。日米和親条約締結以降、水戸藩を中心とした幕政への批判や外交勢力を追い払う攘夷論が高まっていた。幕府はこれらを抑えるため条約締結にあたり孝明天皇の勅許を得ることにした。
正睦は勅許を得るため上洛したが攘夷派の公家が条約締結に反対した。同年3月12日に朝廷に条約議案が提出されると、堂上家137家のうち岩倉具視ら合計88名が抗議の座り込みを行う廷臣八十八卿列参事件を起こした。和親条約は問題ないと考えていた孝明天皇も通商条約は国の秩序を乱すと勅許を拒否した。家定は井伊直弼を大老に指名し勅許を得られなかった正睦は失脚した。
ハリスからの催促に直弼は孝明天皇の勅許を得ないま同年6月19日に日米修好通商条約を締結、同年9月までに列強と安政五カ国条約を結んだ。幕府は条約批准書交換のため米国軍艦ポーハタンで万延元年遣米施設団を派遣し、咸臨丸で木村喜毅、勝海舟、ジョン万次郎などを随行させた。
開国を主張する南紀派の直弼は同年に徳川家茂を第14代将軍とし条約を締結させた。攘夷を主張し徳川慶喜を将軍に推した水戸藩などの一橋派が将軍人事や条約締結に反発すると、直弼は反抗者を粛正した(安政の大獄)。これが反感を買い直弼は安政7年(1860年)3月に水戸浪士らに江戸城桜田門外で暗殺された(桜田門外の変)。攘夷論は天皇や皇室を政治の中心とするべきという考えの尊王論と結びつけられ、反幕府の尊皇攘夷運動が起こり幕政の混乱が始まった。
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