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2024年3月25日 (月)

かっぱ橋道具街のかっぱ河太郎像と合羽橋の由来

ココログ「夜明け前」公式サイト

 かっぱ橋道具街は東京の浅草と上野の間に位置する食器具や調理器具や食品サンプルなどの道具を扱う店が集まる問屋街です。

 かっぱ橋道具街の通りに道具街中央ポケットパークと呼ばれる小さな凹んだ敷地がありますが、そこに「かっぱ河太郎の像」があります。この像は東京合羽橋商店街振興組合が平成15年10月に合羽橋道具街誕生90年を記念して建立したものです。

かっぱ河太郎の像(道具街中央ポケットパーク)
かっぱ河太郎の像(道具街中央ポケットパーク)

 さて合羽橋の名前の由来は雨合羽説と妖怪の河童説があります。

 雨合羽説はこの地に伊予国新谷藩の城主の下屋敷があり侍や足軽が内職で作った雨合羽を近くの橋にたくさんかけて干していたことに由来します。

 妖怪の河童説は文化年間(1804年~1818年)に合羽屋喜八(合羽川太郎)が私財を投げ出して掘割(水路、後の新堀川)を整備したことに由来します。新堀川は1659年に江戸幕府が交通のために作った人工の堀です。現在は埋め立てられていますがこの堀に架けられていたのが合羽橋です。この地は湿地帯で水はけが悪くしばしば洪水が起こりました。見かねた合羽屋喜八(合羽川太郎)が資材を投じて掘割を整備したところ、隅田川に住んでいた河童たちが喜八の善行に心を打たれて夜ごとに工事を手伝ったという伝承があります。河童を見た人は運が開け商売繁盛したとも伝えられています。合羽屋喜八の墓はかっぱ橋本通り沿いの曹源寺(かっぱ寺)にあります。

 かっぱ河太郎はかっぱ橋道具街のマスコットキャラクターとして親しまれています。

かっぱ河太郎の像
かっぱ河太郎の像

 

 

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