江戸幕府が蝦夷地を直轄領に(1855年2月22日)
かつて北海道は蝦夷地と呼ばれ江戸時代には松前藩が支配していました。18世紀半ばにロシアが蝦夷地に現れるようになると江戸幕府は蝦夷地のほとんどを松前藩から召し上げました。19世紀になると幕府は蝦夷地に対する政策を変更し、文政4年(1821年)12月7日に松前藩に蝦夷地の支配と北方警備を任せました。
19世紀半ばになると日本近海に多くの異国船が現れるようになり海防が重要視されるようになりました。嘉永2年(1849年)、江戸幕府は城を所有していなかった松前藩に築城を命じ、安政元年(1855年)に松前福山城が築城されました。
日本の外交政策を大きく変えることになった黒船来航があったのは嘉永6年(1853年)です。同年6月3日に米国のマシュー・ペリー提督が率いる艦隊が日本の開国と通商を求めて相模国浦賀沖に現れました。嘉永7年(1854年)1月16日にペリーの艦隊が再び来航すると、米国の圧倒的な軍事力と外交力を前に江戸幕府は同年3月3日に日米和親条約を締結しました。
日米和親条約の締結によって蝦夷地の箱館が開港されると、ペリーは同年4月21日に箱館を訪れました。このとき松前藩が対応しましたが江戸幕府は松前藩に箱館開港は知らせていたものの日米通商条約の締結については伝えていませんでした。松前藩が日米和親条約の内容を具体的に把握したのは米国から提示された条文を見てのことです。松前藩と米国との交渉が行われましたが、松前藩は権限がないとして交渉を断りました。ペリーはこれを了承し同年5月8日に箱館を出港、箱館港についての取り決めは下田で協議しました。
このときブラウンが撮影した松前勘解由と従者が写った銀塩写真(1854年撮影、松前町所有、松前町郷土資料館保管)が現存しています。この写真が箱館で撮影されたこと、1854年6月1日にペリーから贈られたことが記載された添状が残っています。
次の写真は松前藩の代表としてペリーを出迎えたの松前藩家老の松前勘解由と従者です。ペリーの艦隊にに随行した写真家エリファレット・ブラウン・ジュニアが撮影したものです。
江戸幕府が松前藩に日米通商条約の締結を知らせなかった背景にはこの締結をきっっけに蝦夷地の直轄化を再考していたとされています。実際には江戸幕府は安政2年(1855年)2月22日に江戸幕府は松前藩から蝦夷地を再び召し上げました。これによって松前藩の領地は松前城を中心に渡島半島の南西部のみとなりました。松前藩は代償として松陸奥国、出羽国などの領地4万石と年1万8千両の手当金を受け取ることになりましたが、蝦夷地の交易による利益を上回ることはなく財政難となりました。元治元年(1864年)に松前崇広が江戸幕府老中に就任すると領地の一部が松前藩に返還されましたが財政難が改善されることはありませんでした。同年には江戸幕府による長州征伐が行われ、日本は戊辰戦争に向かう混乱の時代を迎えます。松前藩は新政府軍として箱館戦争に巻き込まれていきます。
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