徳川家康が征夷大将軍に就任(1603年2月12日)
慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で行われた関ヶ原の戦いで東軍を率いて西軍に勝利した徳川家康。いよいよ天下統一に向けて動き出します。まず慶長5年(1600年)12月19日、家康は関白に九条兼孝を奏上します。関白は豊臣秀吉が文禄4年(1595年)に豊臣秀次を解任してから空席になっていました。これによって関白職は豊臣氏による世襲ではなくなりました。
関ヶ原の戦いの戦後処理を終わらせた家康は慶長6年(1601年)3月23日に大坂城から伏見城に移り政務を行うようになりました。諸大名の転封を行い徳川家一門ならびに譜代の大名で重要な所領を固めました。慶長8年(1603年)2月12日、徳川家康は右大臣に任じられるとともに征夷大将軍となりました。同年3月12日、伏見城から二条城に移り3月21日に御所に参内して将軍拝賀の礼を行ました。3月27日、二条城で勅使、重臣、公家を招き将軍就任の祝賀の儀を執り行いました。4月4日から3日間は能楽の催しを開き諸大名や公家を接待しました。
慶長10年(1605年)、家康は征夷大将軍職を徳川家の世襲とするため征夷大将軍を辞職し徳川秀忠に家督を譲りました。慶長20年(1615年)、大坂の陣で豊臣氏を滅亡させ江戸幕府が日本を統治する幕藩体制の築きました。
さて時は流れて慶応3年(1867年)10月14日、第15代征夷大将軍の徳川慶喜は二条城で幕藩体制の政権返上を明治天皇へ奏上しました。翌日15日に明治天皇が奏上を勅許し大政奉還が行われました。慶喜は慶応3年(1868年)12月9日に征夷大将軍を辞職、慶応4年(1868年)、奇しくも家康が征夷大将軍となった日である2月12日に寛永寺大慈院に謹慎しました。
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・三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなった夏目廣次(吉信)(1572年12月22日)
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