映画「ドラゴンへの道」日本公開(1975年1月25日)
映画「ドラゴンへの道」はブルース・リー主演・監督・脚本・武術指導の1972年制作の香港映画です。香港で公開されたのは1972年12月30日で「猛龍過江」というタイトルでした。日本公開は1975年1月25日で邦題は「最後のブルース・リー ドラゴンへの道」でした。英語タイトルは「The Way of the Dragon」です。
「ドラゴンへの道」はブルース・リー映画の「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」の成功により、ブルース・リーがゴールデン・ハーベスト社長のレイモンド・チョウと共同で設立したコンコルド・プロダクションが制作した映画です。
日本でブルース・リーの映画が公開されるようになったのは1973年12月22日に公開された「燃えよドラゴン」がきっかけとなりました。「燃えよドラゴン」の成功でブルース・リーが世界的に知られるようになり、過去に香港で制作されたブルース・リーの映画が公開されていきました。公開時点では最後のブルース・リーは「燃えよドラゴン」でしたが公開順序が後追いになったため「ドラゴンへの道」が最後のブルース・リー映画となりました。その後、本当に最後のブルース・リー映画「死亡遊戯」が公開されました。
「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」をはじめとするゴールデン・ハーベスト作品は日本では東宝東和が配給していました。「ドラゴンへの道」も「ドラゴン電光石火」という邦題で東宝東和が配給することになっていました。ゴールデン・ハーベストは「ドラゴン怒りの鉄拳」の配給を東映に打診していましたが、東映は千葉真一主演でブルース・リーの映画を超える作品を制作できると考え断っていました。
ゴールデン・ハーベストと東宝東和の契約は社長同士の口頭でのやり取りで契約書は交わしていませんでした。東映がブルース・リー映画の配給をゴールデン・ハーベストに依頼すると、レイモンド・チョウが了承してしまったため契約上のトラブルが発生しました。ゴールデン・ハーベストは東宝東和に次作品の「死亡遊戯」を提供する約束をしたことで、「ドラゴンへの道」は東映が配給することになりました。また別な証言として東映が契約したのは「ドラゴン怒りの鉄拳」で東宝東和からクレームがついたたため、ゴールデン・ハーベストが東映に次作の「ドラゴンへの道」を契約するかわりに「ドラゴン怒りの鉄拳」の権利を東宝東和に渡すようにしたという話もあります。
「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」はロー・ウェイ監督作品でしばしばブルース・リーと制作についてぶつかることがありました。「ドラゴンへの道」はブルース・リーが自分の考えで制作した作品でシリアスばかりではなくユーモアに富んだ明るいシーンがたくさん挿入されています。最も異なるのはラスト・シーンでしょう。「ドラゴン危機一発」では最後は逮捕され、「ドラゴン怒りの鉄拳」では拳銃が乱射される中でのストップ・モーションとなり悪を倒したものの殺人を犯したことから決してハッピー・エンドではありませんでした。「ドラゴンへの道」は最後の決闘以外では誰も殺さず問題を解決するとさっそうと帰っていきます。
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