高島流砲術を学んだ福澤諭吉
福沢諭吉は天保5年12月12日(1835年1月10日)に豊前国中津藩(大分県中津市)の下級武士の福澤百助の次男としてに生まれました。5歳の頃から漢学と一刀流を学び始め15歳の頃から勉学に励むようになりました。
嘉永6年(1853年)の黒船来航により砲術の需要が高まり諸藩の藩士が砲術を学ぶようになりました。兄の三之助は諭吉に対してオランダの砲術を学ぶにはオランダ語で書かれた原著を読む必要があると長崎に遊学するよう勧めました。砲術の勉強の名目で中津藩から遊学の許可を得て安政元年(1854年)に長崎に出て蘭学を学びました。
諭吉は中津藩士で砲術を学んでいた奥平壱岐の紹介で長崎奉行役人で砲術家の高島秋帆門下の山本物次郎の食客となり、オランダ通詞からオランダ語を習得し、蘭学や砲術を学びました。山本家には高島秋帆の高島流砲術の資料がたくさんあり、諭吉は鉄砲などの設計ができるようになりました。山本家には出島を訪れるものや大砲の設計図を見にくるものなどがたくさん訪れましたが、それらの接客は諭吉が対応していました。諭吉は長崎で多くの知識と技術を得ながら勉学に励んだのです。
安政2年(1855年)、諭吉は長崎から大阪へ移り緒方洪庵の適塾に入門しました。安政5年(1858)に江戸に出て築地鉄砲洲にある中津藩中屋敷の長屋に移り住み蘭学塾を開きました。これが諭吉が創設した慶応義塾の始まりとされています。
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