敵に塩を送る|塩の日(1月11日)
武田信玄の甲斐国(山梨県)や信濃国(長野県)は内陸で海に面していませんでした。そのため同盟国であった今川家領地の駿河国(静岡県)から魚介類や食塩を買い付けていました。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討ち取られ今川氏真が家督を継ぐと、信玄は永禄10年(1567年)に東海への進出を開始するため甲相駿三国同盟を破棄しました。氏真は相模国(神奈川県)の北条氏康とともに武田家領地への塩留を行いました。食塩を得ることができなくなった武田家領内では困窮が懸念されるようになりました。
この事態に対して越後国(新潟県)の上杉謙信は人々が困窮するのは人道に反し、信玄とは弓矢で戦うとして、信玄の領地に塩を送るように命じました。謙信が送った塩が松本市に届いたのが1569年1月11日、このことから1月11日は「塩の日」とされています。この逸話が「敵に塩を送る」という諺となりました。
ところがこの逸話は当時の記録にはなく127年後の1696年の「謙信公御年譜」に記されています。この時代の上杉家は米沢藩4代藩主の上杉綱憲の時代です。しかしながら「謙信公御年譜」は上杉家を由緒正しく伝えようとする脚色が多く塩留の史実はなかったとされています。「敵に塩を送る」が一般によく知られているのは歴史家の頼山陽が1827年の「日本外史」でこの逸話を美談として紹介したことから広く伝わったと考えられています。
さて武田側は塩を太平洋側で塩を買い付えることができなくなったわけですが、日本海側からは買い付けることができたと考えられます。おそらく謙信は武田側が日本海側で塩を買い付けることを従前通り許したのでしょう。謙信は信玄に塩を無償で贈ったのではなく、塩の値段を吊り上げるようなことはしなかったのでしょう。
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