川路利良と警視庁創設記念日(1874年1月15日)
明治7年(1874年)1月15日、東京警視庁(警視庁)が創設されました。
東京警視庁を創設したのは近代警察の基礎を作り「日本警察の父」と呼ばれる川路利良(かわじ としよし)です。
利良は天保5年5月11日(1834年6月17日)に薩摩藩与力の川路利愛の長男として誕生しました。川路家は薩摩藩家臣として身分の低い家柄でした。元治元年(1864年)、禁門の変のときに長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛の狙撃に成功し、西郷隆盛や大久保利通から高く評価されるよゆになり、慶応3年(1867年)には薩摩藩の御兵具一番小隊長となり洋式兵学を学びました。
慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いに薩摩官軍大隊長として参戦しました。その後、関東の上野戦争や東北の磐城浅川の戦い、会津戦争に参戦しました。明治2年(1869年)、薩摩藩兵器奉行に昇進しました。
明治4年(1871年)、西郷隆盛はかねてから優秀と考えていた川路を東京府大属として招きました。明治5年(1972年)には邏卒総長(らそつそうちょう、邏卒は巡査のこと)に就任し、司法省の西欧視察団のメンバーとして欧州各国の警察組織を視察しました。帰国後、フランスの警察制度を参考し日本の警察制度を改革し近代警察制度を作りあげました。明治7年(1874年)1月15日の警視庁創設に伴い初代大警視(現:警視総監)に就任しました。
明治六年に西郷隆盛が下野したときには川路は私情を捨てて警察に献身することを表明しています。西南戦争では川路は陸軍少将を兼任し警視隊の旅団長として参戦しました。田原坂の戦いでは警視隊から選抜された抜刀隊が活躍し西郷軍を破ります。その後も薩摩に向けて進軍しましたが旅団長を免じられ東京へ戻りました。旅団長は西郷隆盛の従弟にあたる山巌が引き継ぎました。
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