孝明天皇祭(1867年1月30日)
孝明天皇は日本の第121代天皇です。天保2年6月14日(1831年7月22日)に仁孝天皇の第四皇子として誕生しました。弘化3年(1846年)に仁孝天皇が崩御し、翌年の弘化4年(1847年)に16歳で天皇に即位しました。
孝明天皇が在位していた幕末の日本は黒船来航によって動乱した状態でした。西洋の列強国の軍事力に対して幕府は開国もやむなしと考えましたが孝明天皇は天皇を中心とした国の秩序が壊れると考え幕府に反対し攘夷を支持しました。これに対して幕府大老の井伊直弼は孝明天皇の勅許を得ないまま安政5年(1858年)6月から9月にかけて諸外国と安政五カ国条約を結びました。こによって尊皇攘夷派の勢力が幕府と対立するようになると井伊直弼は反抗勢力を粛正する「安政の大獄」を断行しましたが桜田門外の変で暗殺されました。
やがて尊皇攘夷派も西洋の軍事力に対して攘夷は不可能であることを理解し西洋の知識と技術を導入する必要があると考え開国を認めるようになりました。そして幕府の徳川家の世襲は認めず政治を合議制にする公議政体を主張し始めました。孝明天皇これを受け入れましたが朝廷が直接政治を行えるわけもなく慶喜と相談のうえ徳川家が政治の中心的な役割を担う公武合体を考えました。これに対して公議政体を主張する勢力は反発、孝明天皇が慶応2年(1867年)12月25日に36歳で崩御すると慶喜は後ろ盾を失いました。倒幕の動きを察知し幕府と身の危険を感じていた第15代将軍の徳徳川慶喜は政権を朝廷に返す大政奉還を申し入れました。慶応3年(1867年)12月9日、京都御所の御学問所にて第122代天皇に即位した明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられ新政府が樹立しました。
さて1月30日は孝明天皇が崩御した日で宮中祭祀のひとつである孝明天皇祭が執り行われます。孝明天皇が崩御したのは旧暦では慶応2年12月25日ですが明治5年に太陽暦が採用されると1月30日に行われるようになりました。皇居の皇霊殿と孝明天皇陵所の京都月輪東山陵で祭典が行われます。
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