日本初のクリスマス(1553年12月24日)
若くしてカトリック教会司祭となったスペインのコスメ・デ・トーレスは1546年に東南アジアのモルッカ諸島で1546年に同地を訪れていたフランシスコ・ザビエルに出会いました。ザビエルに信奉したトーレスはザビエルと一緒にインドに行きイエズス会に入会しました。
トーレスは1549年にザビエルと日本人ヤジロウとともに宣教のため日本を訪れました。1551年にザビエルが離日することになり、ザビエルはトーレスに日本での布教を託しました。その後、トーレスは18年間に渡り宣教師として活躍しました。トーレスはザビエルと同様に日本と日本人に対して好印象をもち、宣教師が現地の文化に根ざして活動する「適応主義」で布教にあたり多くの信徒を得ました。トレースは1552年に周防国山口(山口県山口市)においてキリシタンを招き降誕祭のミサを催しました。これが日本初のクリスマスとされています。
織田信長が本能寺の変で暗殺され1585年に関白となった豊臣秀吉は1587年にキリスト教の布教を禁止し外国人の宣教師を国外追放とする「伴天連追放令」を出しました。江戸幕府においてもキリスト教の布教が禁止されたので、明治初期までクリスマスは隠れキリシタンの間での行事となり一般には行われませんでした。ただし、徳川家康に受け入れられたオランダの人々はオランダ正月と称してクリスマスを祝いました。このオランダ正月には幕府の役人、蘭学者をはじめとする日本人も参加しました。
日本でクリスマスが一般に受け入れられるようになったのは1900年に横浜の明治屋が銀座に出店した頃です。クリスマス商戦が盛んになりクリスマスが国民に広がるきっかけとなりました。とりわけ大正15年(1926年)12月25日に大正天皇が崩御され12月25日が大正天皇祭として祝日となったため前日のクリスマスの習慣が広がりました。
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