南極観測船 初代「しらせ」が進水(1981年12月11日)
南極観測船の初代「しらせ」は昭和57円(1982年)から平成20年(2008年)まで運用された砕氷艦です。全長134メートル、基準排水量が1万トンを超える大型船で、厚さ約1.5メートルまでの氷を砕氷しながら3ノットで航行することができました。「しらせ」の建造費は文部省(文部科学省)が支出しましたがその設計や運用については防衛庁(防衛省)が担当しました。昭和に建造された自衛艦としては最大級の船舶でした。
艦名は計画では54AGBとされ正式名称は一般公募されました。上位30位以内の中から極光、瑞穂、白瀬が最終選考として選ばれ「しらせ」が選ばれました。「しらせ」は公募では15位でした。白瀬と言えば日本初の南極観測隊を率いた白瀬矗陸軍中尉が有名ですが、当時の海上自衛官の砕氷艦の名称は「名所旧跡のうち主として山の名」と規定されていたため人名を採用することはできませんでした。しかし、昭和基地の近くに白瀬中尉の功績によって名付けられた「白瀬氷河」があり、艦名を「しらせ」と命名することができるようにするため規定を「名所旧跡のうち主として山又は氷河の名」に変更しました。
「しらせ」は昭和56年(1981年)12月11日に推進、 昭和57年(1982年)11月12日に就役しました。南極の昭和基地への観測隊員や物資輸送、観測活動の支援などを行いました。また観測機器を搭載しており、南極の海洋調査や自然環境に関する研究などに貢献しました。南極観測隊の輸送は昭和58年(1983年)の第25次隊から平成19年(2007年)の第49次隊まで合計25回行い平成20年(2008年)7月30日に退役しました。
退役後は保存展示が検討されましたが大型艦の「しらせ」の展示保存には巨額の費用がかかり引き取り手もないことから平成20年(2008年)12月以降に解体されることになりました。ところが鉄の価格が下落したことから解体は先送りとなりました。その後、民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」が「しらせ」を解体するのは惜しいと買い取りました。鉄の価格の下落がなければ「しらせ」は解体されていたことでしょう。
平成22年(2010年)2月10日、「しらせ」は海上自衛隊からウェザーニューズ社に引き渡されました。艦名は「SHIRASE」に変更されました。ウェザーニューズ社が「しらせ」を購入した理由のひとつに「しらせ」に搭載されていた観測装置があります。ウェザーニューズ社は観測機器のシステムをそのまま購入し世界の氷のモニタリングを開始する他、小型気象観測レーダーを設置するなど気象観測を行いました。
しかしながら大型艦の「SHIRASE」を企業が所有するには限界があり、より公益性の高い事業に利用することが考えられるようになりました。平成25年(2013年)9月2日、「SHIRASE」の所有権はウェザーニューズ社から一般財団法人WNI気象文化創造センターへ移転することになりました。なおWNI気象文化創造センターはウェザーニューズ社の創業者の石橋博良氏が設立した財団です。
現在、「しらせ」は千葉県の船橋港の埠頭に係留されています。
【関連記事】南極観測船 初代「しらせ」が進水(1981年12月11日)
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