渋沢栄一が製紙工場設立|紙の記念日(1875年12月16日)
明治維新後、西洋に匹敵する力を持つためには国内の産業を発展させる必要がありました。そのためには人材育成や情報共有が必須です。そこで人々の知識を高めるために新聞や書籍などの印刷物の普及が求められ安価で大量生産が可能な洋紙の必要性が高まりました。ところが当時は国内で洋紙の製造はしておらず輸入に頼っていました。このような考えをもとに洋紙の国産化を考え製紙工場の立ち上げに尽力したのが渋沢栄一です。
官僚から実業家となった渋沢栄一は政府に働きかけ明治6年(1873年)に大蔵省紙幣寮から民間企業「抄紙会社」を独立させました。洋紙の原料として襤褸(木綿の古布)を使うことになり、大都市近郊が襤褸が入手しやすいという理由から「抄紙会社」の工場は東京の王子に建設されることになりました。資金不足に陥り計画が危うくなりましたが、渋沢栄一が尽力して銀行などから融資を受け明治8年(1875年)12月16日に工場の営業運転開始にこぎ着けました。当初は政府の地券状用紙の注文が会社を支えましたが、やがて新聞紙や雑誌に用いられる民需の用紙を生産するようになり渋沢栄一の当初の製紙工場設立の目的を果たすことができるようになりました。
この「抄紙会社」は明治9年(1876年)に「製紙会社」へ名称が変更され、明治26年(1893年)に「王子製紙株式会社」となりました。その後は規模が拡大し「大王子製紙」と呼ばれました。第二次世界大戦後は財閥解体の対象となり昭和24年(1949年)に「苫小牧製紙」「本州製紙」「十條製紙」の3社に分社されました。現在この3社は再編され苫小牧製紙」「本州製紙」が王子ホールディングスとなり十條製紙が日本製紙となっています。
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