王政復古の大号令で明治政府樹立(1867年12月9日)
明治維新により長らく続いた武家政治体制が廃され天皇による政治に戻りました。これを王政復古といいます。
日本で王政復古は嘉永6年6月の米国のマシュー・ペリー提督の黒船来航がきっかけとりました。開国を迫る米国に対して諸外国を排除しようとする攘夷論が高まりましたが、西洋の軍事力には敵わないと考えた幕府大老の井伊直弼は攘夷論を重視していた孝明天皇の勅許を得ないまま安政5年(1858年)6月から9月にかけて諸外国と安政五カ国条約を結びました。
幕府独断の条約締結によって薩摩藩や水戸藩などから幕府を非難する声が高まると、井伊直弼は反抗する者たちを粛正する「安政の大獄」を断行しました。しかしこれが反発を買うことになり井伊直弼は安政7年(1860年)3月に水戸浪士らに江戸城桜田門外で暗殺されました。これを「桜田門外の変」といいます。
それより少し前、十四代将軍に一橋慶喜を推していた土佐藩主の山内豊信は井伊直弼が大老の立場を利用して徳川家茂を将軍に決めると藩主を辞して隠居しました。井伊直弼は山内豊信を江戸に謹慎処分としたのです。山内豊信は謹慎が解けると土佐に戻って藩政に復帰し山内容堂と名乗りました。山内容堂は山内家が初代の山内一豊から徳川家に仕えてきたことから尊皇攘夷に反対の立場を取っていました。自身が不在の間に台頭していた藩内の土佐勤王党などの尊皇攘夷派を処分しましたが、尊皇攘夷に進む国の流れを変えることはできずにいました。
p> このような社会の変化の中で徳川家による武家政治への信頼は失墜し、長州藩などの幕府に反する動きが盛んになりました。当初、江戸幕府は敵対勢力に対し優勢でしたが慶応2年(1866年)1月に土佐の坂本龍馬の働きによる薩長同盟が成立すると劣勢となりました。
攘夷論は天皇や皇室を政治の中心とするべきという考えの尊王論と結びつけられるようになりました。また国政が幕府に独占されている体制から広く人材と意見を取り入れる「公議政体」が求められるようになりました。
慶応2年(1866年)7月に第14代将軍の徳川家茂が死去すると同年12月に徳川慶喜が15代将軍に就任しました。孝明天皇は尊王論への転換に賛成でしたが実際の政治を公家だけで執り行うのは不可能と考え徳川慶喜と相談し公家と武家が協力して政治を執り行う「公武合体」を考えました。しかしながら、慶応2年(1866年)12月に孝明天皇が崩御すると徳川慶喜は後ろ盾を失い、「公武合体」に反対し「公議政体」を主張する勢力が優位になります。そして慶応3年(1867年)5月に四侯会議が設置されました。この四侯会議は徳川慶喜が政治力で「公議政体」への転換を退けたことで崩壊しました。以降、薩摩藩は長州藩と同様に話し合いではなく武力で倒幕する方針へ転換しました。
慶応2年(1866年)、土佐藩の藩命で海外貿易を調査する研究するため薩摩、長崎、上海を視察した後藤象二郎は坂本龍馬と出会い親交を深めました。このとき坂本龍馬は後藤象二郎に武力による倒幕を避けるために幕府が政権を朝廷に返すべきだと話をしました。坂本龍馬は幕府が政権を返せば倒幕の大義もなくなり、その後の政治は話し合いで進めるべきだと考えていたのです。
この案を後藤象二郎から具申された山内容堂は幕府が政権を朝廷に返したうえで徳川家が政治の中心的な役割を担う立場を取ることができると考え幕府に上申しました。倒幕の動きを察知し幕府の行き詰まりと身の危険を感じていた徳川慶喜は山内容堂の意見を受け入れ同年10月4日に大政奉還を申し入れ翌15日に受理されました。
慶応3年(1867年)12月9日、京都御所の御学問所にて明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられ新政府が樹立、ここに徳川家康以来260年間続いた徳川将軍家による幕府が終焉したのです。徳川家が政治の中心的役割を果たすことに反対した薩摩や長州の勢力が新政府の主導権を握り、徳川慶喜が内大臣の官位を返上し、徳川家の領地を朝廷に返還することを求めました。 これに幕府の勢力が反発し、鳥羽伏見の戦いが起こり旧幕府軍と新政府軍の間で戊辰戦争が始まったのです。
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