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2023年12月14日 (木)

赤穂事件 忠臣蔵の日(1703年12月14日)

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 江戸時代中期、第五代将軍徳川綱吉将軍の時代にあたる元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城の松之大廊下で播磨国の赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が高家筆頭の吉良上野介義央に斬りかかる事件が起こりました。何らかの諍いで事件が起きたのですが斬りかかった理由は不明とされています。

 このとき幕府は江戸城で年賀の挨拶の返礼に来ていた朝廷の勅使を接待をしていました。綱吉は時と場所をわきまえず刀を抜いて事件を起こした加害者の浅野を厳罰処分とし即日切腹、浅野家の所領を没収し改易としました。一方、被害者の吉良はお咎めなしとなりました。

仮名手本忠臣蔵三段目(歌川国輝)
仮名手本忠臣蔵三段目(歌川国輝)

 この浅野に対する処分に浅野家の家臣は強い憤りを感じ、筆頭家老の大石内蔵助は幕府の所領没収にどのように対応するか家臣と話し合いました。籠城して抗戦するべき、藩士の後を追って切腹するべきなどの意見も出ましたが、浅野内匠頭の弟の浅野大学(浅野長広)による浅野家の再興を期待して幕府の処分に従い赤穂城を明け渡しすることにしました。

 幕府の処分に対して強い憤りを感じていた江戸詰めの赤穂藩藩士たちは吉良邸に討ち入りに向かいましたが警戒が厳しく諦めました。処分には納得できず大石に籠城して徹底抗戦するよう求めましたが賛同は得られませんでした。大石は赤穂城を幕府に明け渡しましたが江戸詰の藩士たちの不満が高まるのを避けるため江戸と山科で会議を開きました。浅野大学を中心とした浅野家再興の道を説いたのです。

 しかしながら大石の期待は外れ幕府は元禄15年に浅野大学の所領を召し上げ広島浅野宗家に預かりとしました。こによって浅野家の再興の道は閉ざされたのです。この処分に対して大石や江戸詰の藩士をはじめとする浅野家家臣も禄を失い浪士となりました。赤穂浪士たちは京都で円山会議を開き、ここで大石は浅野内匠頭長矩の仇討ちのため吉良邸討ち入ることを表明しました。

 大石は吉良邸討ち入りのメンバーを決めるにあたり、事前に仇討ちの意志を確認するために作成していた血判状を討ち入りを取りやめたと偽って浪士達に返しました。このとき血判状の受け取りを拒否して仇討ちをするべきだと言及したものを同志として認めました。同志の数は47名になりました。これが有名な神文返しです。大石らは江戸に向かい深川会議を開き吉良を討ち取る計画を立てました。

 元禄15年12月14日 (1703年1月30日)、大石内蔵助をはじめとする同志47名は吉良邸に討ち入り約2時間の戦いの末に武林隆重が吉良を討ち取りました。吉良の首は泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に供えられ仇討ちが果たされました。

吉良邸討ち入り(1886年、二代目山崎年信画)
吉良邸討ち入り(1886年、二代目山崎年信画)

 同志47名は無事で吉田忠左衛門と富森助右衛門の2人は吉良邸の討ち入りを大目付の仙石伯耆守に報告に向かいました。また同志の1人の寺坂吉右衛門(寺坂信行)の姿が見えなくなりました。寺坂吉右衛門は同志として選ばれた吉田兼亮の部下でした。足軽の身分で先の血判状にも交わしていませんでしたが大石に同志に加えてほしいと嘆願しました。大石は足軽の身分のものを同志に加えることを踏襲しましたが吉右衛門の熱意を認めて同志としたのです。吉右衛門がいなくなった理由はわかっていません。大石が士分ではなく足軽の身分だった吉右衛門を逃した、あるいは大石からの密命で離れたとも言われています。吉右衛門は討ち入り後に京都の磨国赤穂藩藩医の寺井玄渓、広島の浅野大学のもとを訪れた記録が残っています。

 幕府は出頭した大石をはじめとする赤穂浪士46名を4つの大名家に預け処分を検討しました。そして元禄16年2月4日 (1703年3月20日)に一同を切腹に処すことを決めました。幕府は赤穂浪士の討ち入りを仇討ちとは認めませんでしたが斬首とはしませんでした。大名屋敷で預けられていた赤尾浪士たちは同日に切腹しました。赤穂浪士たちは主君が眠る泉岳寺に埋葬されました。

義士四拾七人(歌川芳虎 作)
義士四拾七人(歌川芳虎 作)

 幕府は赤穂浪士46人の他にも処分を下しています。赤穂浪士が切腹した日、吉良上野介の跡を継いだ吉良左兵衛義周は信濃国高島藩主の諏訪忠虎預りとされました。浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央の刃傷事件当時は浅野だけが処分を受けましたが、吉良のふるまいが悪辣だったことを認めお咎めなしの処分を訂正したのです。また幕府は赤穂浪士の遺児のうち男子は伊豆大島に遠島を申しつけました。女子はお構いなしとされました。

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