アインシュタイン来日(1922年11月17日)
大正デモクラシーで世の中が変化していく大正11年(1922年)、出版社「改造社」の山本実彦が「世界的名声人士」として理論物理学者アルベルト・アインシュタイン博士を妻のエルザとともに日本に招待しました。
当時、世界各地を訪問していたアインシュタインは同年10月8日にフランス南部のマルセイユから日本郵船の北野丸で日本に向かいました。この航海中の11月10日、アインシュタインに1921年度ノーベル物理学賞が授与されることが発表されました。アインシュタインの来日を待つ日本は大いに賑わいました。北野丸は11月13日に上海に到着し、4日後の17日午後4時に神戸港に到着しました。山本実彦夫妻、、東京帝国大学教授の長岡半太郎博士、東北帝国大学元教授の石原純博士などをはじめ多くの報道記者や民衆がアインシュタインを出迎えました。
アインシュタインは初日は京都の都ホテルに宿泊し翌18日朝に東京に向かいました。当時は新幹線などありませんでしたので東京に到着したのは午後7時過ぎでした。19日は慶応義塾大学で相対性理論の一般講演を行いました。21日は赤坂離宮で観菊御宴に招待され大正天皇の貞明皇后に謁見しています。アインシュタインが大正天皇に謁見したと記載している記事もありますが当時は大正天皇は病気療養中でした。また摂政宮をされていた昭和天皇も別の公務で不在でした。
アインシュタインは北は仙台から南は博多まで全国10カ所で講演を行いました。講演の合間に各地を観光し能や歌舞伎などの観劇もしました。離日を前にした12月25日に北九州の門司でYMCAのクリスマスパーティに参加しバイオリンでアヴェ・マリアの演奏を披露しています。26日に離日する予定でしたが乗船予定の船の都合で滞在が延長となり29日出港となり門司三井倶楽部に滞在しました。
12月28日には送別会が行われアインシュタインはお礼とて再びバイオリンの演奏をしています。門司三井倶楽部に滞在した。12月29日午後3時、日本郵船の榛名丸で門司港を出港し日本を離れました。
アインシュタインは日本各地で多くの日本人から大歓迎されました。日本人あまりの熱狂ぶりにアインシュタインは驚いて呆れてしまいましたが、日本人が自分のことを本当に歓迎してくれていることを知り日本と日本人を好きになったそうです。
めずらしいものや有名人が大好きな日本人の気質は今も昔も変わらないようです。
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