戦艦「長門」進水(1911年11月9日)
大日本帝国海軍の長門型戦艦の1番艦「長門」は大正8年(1919年)11月9日に進水し、大正9年(1920年)11月25日に竣工しました。
長門型戦艦は英国から提供されたクイーン・エリザベス級戦艦の設計図を参考に日本海軍が設計した41センチ(16.1インチ)砲を装備した国産の戦艦で「長門」と「陸奥」の2隻が建造されました。完成当時は世界最大級の最強・高速の戦艦で戦艦「敷島」に代わり連合艦隊旗艦となりました。
昭和16年(1941年)12月に大和型戦艦「大和」が就役すると、「長門」「陸奥」は昭和17年(1942年)2月に連合艦隊旗艦の座を「大和」に譲りました。「長門」は「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦となりましたが同年6月に始まったミッドウエイ海戦後は最前線に出ることはなく温存されました。
昭和18年(1943年)6月8日、「陸奥」が主砲火薬庫が原因不明の爆発を起こして沈没すると「長門」は再び連合艦隊の主力艦としてトラック島に向けて出撃しました。その後はマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦などの戦闘を経て損傷箇所の修復が行われましたが燃料や物資の不足により出撃することはありませんでした。
昭和20年(1945年)4月7日、「大和」が撃沈すると同年6月に「長門」は本土決戦に向けて防空砲台として使用される特殊警備艦となりました。そして同年7月18日、「長門」は横須賀空襲において米軍空母の艦載機からの攻撃によって艦橋が破壊されました。その後は修復されることなく終戦を迎えましたが、稼動可能な状態で残った唯一の日本の大型戦艦となりました。
終戦後、「長門」は米軍に接収されたました。「長門」は米軍による調査後に武装解除され、昭和21年(1946年)3月に米軍の核実験クロスロード作戦に参加するためマーシャル諸島のビキニ環礁に向けて出発しました。「長門」は核実験の標的艦とされ二度の核爆発により浸水が進み同年7月28日から29日にかけて沈没しました。
現在では日本海軍の連合艦隊の旗艦と言えば大和型戦艦の「大和」と「武蔵」が有名ですが、この2隻は第二次世界大戦中には極秘扱いだったため当時の国民にはあまり認知されていませんでした。当時の国民にとって連合艦隊の旗艦と言えば特に戦艦「長門」が日本海軍の象徴と誇りとして認知されていました。「長門」が二度の核攻撃に耐えたことは日本の国民にも伝えられました。
昭和60年(1985年)、読売新聞社が米国とマーシャル諸島の政府から許可を得て「長門」の調査を行いました。同年12月21日、潜水調査船「はくよう」の海中カメラが上下逆さまで着底している「長門」の姿を捉えました。
青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 戦艦 長門 1944 リテイク プラモデル
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