ベートーヴェンの「皇帝」公開初演の日(1808年11月28日)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲は公式には次の5曲とされいます。
・ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15
・ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37
・ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
・ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73
・ピアノ協奏曲 ホ長調WoO 4
この中には第2番がありませんが「ピアノ協奏曲 ニ長調Op.61a」があります。しかしこの作品は「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op.61」を編曲したものであることからピアノ協奏曲に含まれません。
この作品のうちベートーヴェンの「皇帝」は「ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73」です。「皇帝」はピアノ協奏曲5曲の中では最後の作品です。ものであり、初演では他のピアニストに独奏を委ねた唯一の作品です。ベートーヴェンは1808年12月22日に初演となる「運命」を含む演奏会を開いており、その直後に「皇帝」に着手したとされています。翌年1809年の夏頃には総譜(フルスコア)を書き上げ作品を練り上げていきました。
この作品はベートーヴェンの生涯で傑作が多い中期の10年間「傑作の森」の時期に作られたものですが、ちょうどその頃ナポレオンが率いるフランス軍がベートーヴェン が住み音楽活動をしていたウィーンを占領しシェーンブルン宮殿を占拠しました。このためベートーヴェンを支援していたルドルフ大公や貴族たちが疎開したため、休戦協定が結ばれた後もベートーヴェンはウィーンでの音楽活動を続けることができなくなりました。「皇帝」が発表されたのは最初の総譜(フルスコア)を書き上げてから1年以上後の1810年11月でした。
「皇帝」が最初に演奏されたのは1811年1月13日に行われたロプコヴィツ侯爵宮殿での非公開の定期演奏会でした。この曲はルドルフ大公に献呈され、このときピアノを独奏したのはルドルフ大公です。
公開初演は同年11月28日にライプツィヒのゲヴァントハウス演奏会で行われました。また翌1812年2月12日にウィーンのケルントナートーア劇場で演奏されました。ベートーヴェンは聴覚障害を抱え難聴は悪化していましたが「ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58」まで初演では自らがピアノの独奏を行ってきました。しかし、フランス軍による爆撃音によって難聴が悪化したためピアノの独奏を諦めました。
初演は残念ながら不評に終わったことからベートーヴェンは二度と「皇帝」を演奏することはありませんでした。そそて新しいピアノ協奏曲を作ることもありませんでした。しかしながら、著名なピアニストのフランツ・リストが「皇帝」を演奏し始めたことから名曲と認識されるようになりました。リストは1823年4月13日にウィーンでコンサートを開いたとき晩年のベートーヴェンに出会い賞賛されてます。その4年後の 1827年にベートーヴェンは56歳で他界しました。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調Op 73 「皇帝」 ホロヴィッツ /ライナー Beethoven : Piano
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