函館と黒船と日本最古の写真の関係
幕末の1853年の黒船来航時にマシュー・ペリー提督に随行したエリファレット・ブラウン・ジュニアという写真家がいました。ブラウンはもともと画家でしたが同じく画家だった弟が写真に興味を持つようになり自身も写真家となりました。
ブラウンは寄港先で景色や人物の銀板写真をタゲレオタイプカメラで撮影しました。ブラウンが撮影した一連の銀板写真は国内で日本人を撮影した現存する最古の写真とされています。
ペリーが黒船で函館を訪れたのは安政元年(1854年)5月です。このときブラウンは同年5月17日(旧暦4月21日)から同年6月3日(旧暦5月8日)まで北海道函館市船見町にある日蓮宗の実行寺(じつぎょうじ)に滞在しここで写真撮影のためのスタジオを作りました。
このとき松前藩の代表としてペリーを出迎えたのは松前藩の家老の松前勘解由です。勘解由は同年5月19日(4月23日)にミシシッピ号を訪問しペリーと会談、ペリーはその3日後の同年5月22日に函館に上陸し函館の弁天町にあった豪商・山田屋寿兵衛の屋敷で会談を行いました。
このときブラウンが撮影した松前勘解由と従者が写った銀塩写真(1854年撮影、松前町所有、松前町郷土資料館保管)が現存しています。この写真が箱館で撮影されたこと、1854年6月1日にペリーから贈られたことが記載された添状が残っています。
この写真は日本最古の銀板写真の一つとして国の重要文化財に登録されています。ブラウンが日本で撮影した写真から制作された木版画やリトグラフは「ペリー提督日本遠征記」に収録されています。ブラウンは日本各地で400点を超える写真を撮影したと述べていますが多くの写真原版が失われています。
【関連記事】函館と黒船と日本最古の写真の関係
・榎本武揚らが日本初の公選入札を行う(1868年12月15日)
・天使の聖母トラピスチヌ修道院が設立(1898年4月30日)
・青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年(1963年)11月15日
・函館ハリストス正教会が重要文化財に指定される(1983年6月2日)
| 固定リンク | 0
「函館の話」カテゴリの記事
- 東浜桟橋(旧桟橋)と北海道第一歩の地碑(2024.12.06)
- 新島襄が同志社英学校(同志社大学)を創設(1875年11月29日)(2024.11.29)
- 函館運上所|税関記念日(1872年11月28日)(2024.11.28)
- 米海軍航空母艦ホーネット(CV-12)が函館に寄港(1962年8月21日)(2024.11.16)
- 榎本武揚ら旧幕府軍が五稜郭に入城(1868年10月26日)(2024.10.26)
コメント