土方歳三を撮影した写真師|田本研造の命日(1912年10月21日)
田本研造は幕末から明治時代初期にかけて函館を中心に北海道で活躍した写真家です。天保3年(1832年)4月8日に紀州牟婁郡神川村(三重県熊野市神川町)で生まれました。23歳で長崎の蘭方医の吉雄圭斎のもとで医学やや舎密学(化学)を学びながら西洋文化の影響を受けました。
安政6年(1859年)、安政五カ国条約により函館港が開港すると、箱館奉行所の通詞だけでは各国領事官の対応に手が回らなくなったため幕府が通詞を増員しました。このとき箱館に転勤となった長崎奉行所通詞の松村喜四郎に伴い箱館にやって来たのが27歳の田本研造です。
田本は右足に凍傷を追って悪性の壊疽にかかり、ロシアの医師ゼレンスキーの手術を受け命は助かりましたが右足を切断する不運に見舞われました。田本は治療中にゼレンスキーから写真技術を学び、慶応2年(1866年)頃から写真師の仕事を始めました。写真師の横山松三郎や木津幸吉と出会い写真の研究を進めました。田本は木津と一緒に松前に赴き当時の松前城(福山城)や藩士らの写真を撮っています。
明治2年(1869年)、田本は大工町(末広町)に北海道初の写真館を開きました。この写真館は採光用ガラス窓がついた本格的なものでした。この頃、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争で新政府軍と戦った旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三の肖像写真、仏軍士官、幕軍兵士、軍艦の回天丸などの写真を撮影しました。とりわけ椅子に座った洋装の土方歳三の写真が有名です。
この写真は当初は田本研造が撮影したものかどうか不明でしたが、調査によって田本研造が撮影されたものとされています
桑嶋洋一「写真師K・Gと土方歳三」
箱館戦争後は明治政府の開拓使より明治4年(1871年)に札幌と周辺の撮影を命じられ弟子の井田幸吉と札幌に赴きます。田本が撮影した158枚の写真は函館出張開拓使庁から政府に送られました。政府は北海道開拓事業の進捗状況を把握しました。1873年にウィーンで開催された万国博覧会にはこの開拓使の写真が出品されました。
田本は多数の有名な写真師を輩出し、北海道における指導者的立場の写真師となりました。田本は右足が不自由だったため郷里に帰省することはありませんでした。しかし、箱館から郷里に手紙とともに写真を送っています。田本研造は後に音無榕山と名乗り増しが、音無は郷里の音無川(熊野川)に因んだものです。郷里に思いを馳せていたのでしょう。
田本研造は大正元年(1912年)10月21日、函館で81歳の生涯を閉じました。田本研造の墓は函館山の立待岬に近い住吉墓地にひっそりと佇んでいます。
また郷里の地元熊野市には昭和56年(1981年)に鬼ヶ城に顕彰碑が建立されました。
【関連記事】土方歳三を撮影した写真師|田本研造の命日(1912年10月21日)
・榎本武揚らが日本初の公選入札を行う(1868年12月15日)
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