映画「生きる」公開(1952年10月9日)
映画「生きる」は昭和27年(1952年)10月9日に東宝で公開された黒澤明監督、志村喬主演の日本映画です。
人間のエゴイズムと信頼関係をテーマとした映画「羅生門」で国際的に高く評価された黒澤明監督はヒューマニズムに視点を置いた映画を制作を考えるようになりました。黒澤監督はトルストイの小説「イワン・イリッチの死」から着想し、余命75日と宣告された人間がどのように生きるかをテーマとした物語の骨子を考えました。脚本家の橋本忍さんが最初の脚本を書き上げ、これをもとに黒澤監督と橋本忍さんと小國英雄さんの3人で「渡辺勘治の生涯」という脚本を練り上げました。最後に黒澤監督が完成した脚本のタイトルを「生きる」に変更しました。
志村喬さんが演じる市役所の課長である渡辺勘治は胃癌で余命が幾ばくもないことを悟り、市役所での無気力でお役所仕事を毎日こなすだけの人生に意味を見い出すことができななります。渡辺は市役所を無断欠勤し、それまで経験したことがないような遊びをするもののいたずらに時間が過ぎ去る日々の中で虚しさを感じていました。
ある日、渡辺は部下の小田切とよと出会いました。彼女は市役所を辞めて玩具会社に転職しようとしていました。渡辺はとよの生き方に惹かれて、自分が胃癌であることを伝えます。とよは自分が作った玩具を渡辺に見せて、何かを作ってみたらどうかと提言します。渡辺は自分にもまだできることがあると考えて市役所に復帰しますが5ヶ月後にこの世を去りました。
シーン変わって渡辺の通夜。市役所の同僚たちが生前の渡辺の仕事振りについて語ります。渡辺は復帰後、かねてから住民が要望し棚上げになっていた公園を作るため、それまでないほどの熱意で公園作りに取り組んだのです。公園が完成すると渡辺はブランコに揺られながら息を引き取りました。通夜には住民も訪れ多くの人が渡辺に感謝しました。市役所の上役が退席すると同僚達は渡辺の功績を称えながらお役所仕事の批判を始めました。
通夜の翌日の市役所では渡辺の代わりの課長が赴任し、その課長のもとで相変わらずのお役所仕事をしている同僚達。渡辺が作った公園では子どもたちの笑い声があふれていました。
主演の志村喬さんがブランコに揺られながら「いのち短し恋せよおとめ♪ 」と「ゴンドラの唄」を歌うシーンがあります。決して上手でもなく弱々しい声ですが、すべてをやり終えたという人生の誇らしさが衰弱した身体の奥深くから絞り出されてくるような声でした。黒澤監督は志村さんに「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と頼んだそうです。
Takashi Shimura- Gondola No Uta (Ikiru)
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