漫画「青いトリトン」連載開始(1969年9月1日)
「青いトリトン」は手塚治虫先生の漫画で漫画です。「青のトリトンは」はサンケイ新聞(現:産経新聞)に1969年9月1日から1971年12月31日まで連載されました。手塚先生は半年前の同年年2月まで同新聞で「鉄腕アトム」を連載しており、新聞社の要請により「青のトリトン」の連載を開始しました。当時は「巨人の星」や「柔道一直線」などスポ根ものが流行していたため、サンケイ新聞の要請により能力を向上するための特訓などが描写されました。
「青いトリトン」にはアニメ版には出てこない矢崎和也という15歳の少年が出てきます。この和也少年とその母が岬で発見したのが海棲人類トリトン族の赤ん坊トリトンでした。2人はトリトンを家族のように扱い育てました。和也は血の気が多い少年でそのために様々な事件を起こしまた巻き込まれます。実は「青いトリトン」の主人公は当初はトリトンではなく和也でした。和也がど根性で冒険する物語が展開されるはずでしたが、手塚先生が余計な話を混在させない純粋な冒険活劇とする方針に転換したため和也が失踪することになりトリトンが主人公となりました。アニメ版「海のトリトン」のトリトンは最初から海で大活躍しますが、「青いトリトン」では陸上で成長し海に出るまでのトリトンを描いています。
この「青いトリトン」を原作としてアニメ化したのが1972年4月1日から同年9月30日までTBS系列で放映された「海のトリトン」です。「青いトリトン」はサンケイ新聞の連載中にアニメ化が企画されましたが、虫プロダクションの経営悪化によりアニメ化が頓挫します。混乱の中で虫プロ商事の経営改革を進めていたのが手塚先生のマネージャーを務め後に「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーとなった西崎義展氏です。西崎氏による虫プロ商事の再建は失敗しますが、西崎氏は「青いトリトン」のアニメ化をテレビ局へ売り込みました。テレビ放映が決定すると手塚先生は喜んだそうですが、後に権利問題で両者は決別します。
「海のトリトン」は西崎氏が初めてプロデュースしたテレビアニメ作品となりました。監督には後に「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野喜幸(現:富野由悠季)監督が起用され、同監督の初監督作品となりました。「海のトリトン」の原作者は手塚先生ですが、ストーリーも「青いトリトン」とは異なるものになりました。アニメの放送終了後、「青いトリトン」が単行本化されたときに原作の題名も「海のトリトン」に変更となりました。このとき手塚先生はアニメ版のトリトンは自分はアニメ化を許諾した原作者の立場ではあるがアニメ自身は自分が作ったものではないとしています。
このような経緯はありましたがアニメ版「海のトリトン」は大人気となり、アニメブームの先駆けとなりました。「宇宙戦艦ヤマト」を手掛けた西崎氏が初めてプロデュースし、「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野監督の初監督作品として評価されています。
【関連記事】漫画「青いトリトン」連載開始(1969年9月1日)
・鉄人28号の実写版テレビドラマの放送開始(1960年2月1日)
・テレビアニメ「おそ松くん」放送開始(1966年2月5日)
・パーマン誕生の日(1967年4月2日)
・仮面ライダー放送開始50周年(昭和46年 1971年4月3日)
・バカボンのパパ参上「天才バカボン」放送開始(1971年9月25日)
・特撮テレビドラマ「秘密戦隊ゴレンジャー」放送開始(1975年4月5日)
・テレビアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」放送開始(1978年3月14日 )
・テレビアニメ「ドラえもん」全国放送開始(1979年4月8日 )
| 固定リンク | 0
「アニメ・コミック」カテゴリの記事
- 映画「風の谷のナウシカ」日本公開(1984年3月11日)(2025.03.11)
- ドラえもん 歴史人物伝【幕末・維新】(2025.02.20)
- 【おもしろ映像】アイアン・ベイビー(2025.01.19)
- 【おもしろ映像】赤ちゃんスパイダーマン登場(2025.01.16)
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 明治政府が「神仏分離令」を公布(明治元年 1868年3月28日)(2025.03.28)
- 吉田松陰と金子重之輔が黒船に密航を懇願|下田踏海(嘉永7年 1854年3月27日)(2025.03.27)
- ベートーヴェン亡くなる|楽聖忌(1827年3月26日)(2025.03.26)
コメント