日本航空の設立(1951年8月1日)
昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終了後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本の航空産業に関する組織を解体させ、軍はもとより民間の日本の航空機の運用ならびに研究開発を禁じました。昭和25年(1950年)6月に朝鮮戦争が起こると、米軍は日本に戦闘機の修理や部品の供給を要請するため日本の航空産業を再開させました。日本による航空機の運用も解禁となり、昭和26年(1951年)に昭和26年(1951年)1月に日本航空創立準備事務所が開設された。
このとき複数の会社が国内航空運送事業免許の申請の名乗りをあげたことから、政府は行政指導により日本航空に一本化しました。同年3月に国内航空運送事業の免許を申請され同年8月1日に日本航空株式会社が設立され本社は現在の銀座日航ホテルの場所に置かれました。当初の日本航空は株式会社と言っても半官半民の体制で社員は39名のみでした。
同年8月27日から29日までフィリピン航空のダグラス DC-3型機(機体記号PI-C7)を借り入れて金星号と名付け試験飛行を行いました。この試験飛行には航空関係者や報道関係者が招待されました。その後、定期路線の就航予定の羽田、大阪、福岡、札幌に事務所を設置しました。
当初は日本航空自身による運行は認められず日本航空が担当したのは営業と客室乗務員のみでした。運航はパイロットを含めてノースウェスト航空が担当しました。機体はマーチン2-0-2型が使われ「きん星」「もく星」「すい星」「ど星」「か星」と名付けられた5機が就航しました。昭和26年(1951年)10月25日、日本の国旗を記した旅客機が再び飛び立っていきまいた。このことから昭和26年(1951年)10月25日は民間航空記念日 とされています。
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