黒澤明監督「羅生門」公開(1950年8月25日)
映画「羅生門」は1950年8月25日に公開された黒澤明監督、黒沢明・橋本忍脚本の日本映画です。原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」で芥川の短編小説「羅生門」をもとにタイトルや設定が考案されました。三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬などが出演しました。
時は平安時代の京の都の羅生門で杣売りと旅法師と下人の3人の男が雨宿りをしていました。そのうちの1人が武士の金沢武弘の遺体を発見した経緯について話を始めます。「羅生門」は武士の殺害事件について、その目撃者や関係者がそれぞれの視点から証言する姿を描いた映画です。食い違った証言が行き交い真相がわからなくなる人間のエゴイズムの醜さに焦点が当てられます。
すっかりと崩れてしまった人間の信頼関係。そこに羅生門のどこかから赤子の泣き声が聞こえてきます。 下人は手前勝手でない人間は生きていけないと言い切り赤子の着物を剥ぎ取ってしまいます。その後、杣売りが赤子に手を伸ばしたので、旅法師はその手を払いのけます。しかし、杣売りは自分の子として育てると言って赤子を抱えて去っていきました。旅法師は自分を恥ながらも人間の良心に改めて希望を見い出したのです。
「羅生門」の脚本を最初に手掛けたのはと橋本忍です。原作ものを手掛けていなかった橋本は師匠の伊丹万作の助言で文学作品を手掛けることにしました。このとき橋本が選んだのが芥川龍之介の「藪の中」で、この小説を元に「雄雌」という脚本を書き上げました。「雄雌」は知人を通じて黒澤に手渡されました。
黒澤は「静かなる決闘」の次作の映画製作をすることになり「雄雌」を採用することにしました。「雄雌」は長編映画には短すぎたため黒澤は橋本に加筆するように言いましたが出来上がったものが気に入りませんでした。脚本を2人で書き直すことにしましたが橋本の体調不良により黒澤が1人で書き直すことになりました。黒澤は芥川の短編小説「羅生門」のエピソードなどを加え、ラストシーンで杣売りが赤子を育てるというエピソードを加えました。題名は「雌雄」から「羅生門物語」とされましたが後に「羅生門」と改められました。橋本は黒澤と「生きる」や「七人の侍」の脚本も手掛けました。「日本沈没」「八甲田山」「八つ墓村」も手掛けています。
さて映画「羅生門」は映画に新しい風を吹き込みました。「羅生門」以前には同じ出来事を複数の登場人物の視点から描くような物語はなかったのです。「羅生門」によって同様な手法の物語の映画が国内外で多く製作され、羅生門効果と呼ばれるようになりました。「羅生門」は第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞し、日本の映画が国際市場に進出するきっかけを作りました。
【映画】映画「羅生門」公開(1950年8月25日)
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