映画「エイリアン」日本公開(1979年7月21日)
「エイリアン」(Alien)は1979年5月25日に米国で公開されたリドリー・スコット監督、ダン・オバノン脚本、シガニー・ウィーバー主演のSFホラー映画です。日本では同年7月21日に公開されました。
商業用宇宙貨物船ノストロモ号が知的生命体からの信号を受信し調査に向かいます。しかし、その信号は警告でした。調査に向かった1人がサソリのような生物に寄生されます。ノストロモ号に戻った彼を助けようとしたところ生物が船内に逃亡。攻撃的な地球外生命体エイリアンは次々と乗組員に襲いかかります。最後の1人となったリプリー(シガニー・ウィバー)とエイリアンの死闘が始まります。
エイリアンの原案は脚本のオバノンが作成しました。1974年に「ダーク・スター」というSF映画を制作したオバノンは「宇宙船が未知の惑星に降り立ち謎の生命体を発見、乗組員がそれに寄生され、やがて体内から怪物が誕生する」という内容のSFホラー映画「メモリー」を企画しました。しかし、この原案は未完成で怪物のデザインも決まらず頓挫していました。
このとき「ダーク・スター」を見て共感した脚本家のロナルド・シャセットがオバノンのもとを訪れました。シャセットはオバノンに自分の作品「追憶売ります」の仕事を手伝うかわりに「メモリー」の映画化に協力をすることを約束しました。2人は「追憶売ります」を共同で書き上げました。これは1990年に「トータル・リコール」という題名で映画化されました。その後、オバノンは映画「デューン/砂の惑星」の制作に特殊効果の担当して参加しますが、この映画の制作は資金難で頓挫してしまいオバノンは資金を使い果たしてしまいました。
失意に暮れていたオバノンにシャセットは「メモリー」を完成させるように促しました。このときオバノンは「B-17にグレムリンが侵入し、乗組員を一人また一人と殺していく。怪物を倒さない限り乗組員は故郷へ帰れない」というあらすじの別の作品を構想していました。シャセットはオバノンにこの作品を応用するよう助言し、オバノンは「メモリー」を書き進め作品の題名を「スタービースト」に変更しました。
オバノンは「スタービースト」のプレゼンテーション用に「ダーク・スター」で知り合ったロン・コッブにイラストを依頼しました。コッブが書き上げたイラストを見てオバノンは「エイリアン」という題名を思い付きました。関係者の協力を得て「エイリアン」は映画制作会社ブランディワイン・プロダクションズとの契約が成立しました。20世紀フォックスに売り込まれましたが映画化には至りませんでした。しかし、「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」が大人気となったことで「エイリアン」の映画化が決まりました。
オバノンはもともとは映画監督をめざしていましたが、20世紀フォックスからの評価は高くなく映画製作に深く関わることはできませんでした。一方のシャセットは評価され製作総指揮に任命されました。オバノンは視覚デザインのコンサルタントとして製作に関わることになりました。そして監督にリドリー・スコットを迎え、1978年7月5日に映画の製作が始まりました。映画の脚本はブランディワイン・プロダクションズのデヴィッド・ガイラーとウォルター・ヒルによって何度も書き直されました。
スコット監督が最初に重要視したのはエイリアンのデザインでした。コッブのデザインはあくまで原案で満足のいくものではなかったからです。これより少し前にオバノンは「デューン/砂の惑星」に参加していたスイスの造形作家のハンス・リューディ・ギーガーに連絡を取り「人間に寄生する幼生を産み付ける第1形態」「人間の体を突き破って現れる第2形態」「成長した第3形態」のアイデアを伝えていました。オバノンはスコット監督にギーガーの作品を紹介しました。
スコット監督はギーガーの奇抜なデザインに衝撃を受けエイリアンのデザイナーとして採用することにしました。ギーガーは「エイリアン」の主人公は自身がデザインするエイリアンに他ならないと考え高額なギャラを要求しました。交渉は難航しましたが20世紀フォックスはギーガーと契約しました。ギーガーはさっそく撮影に参加しましたが完璧主義だったため現場のスタッフや上層部と対立し、20世紀フォックスはギーガーを解雇しました。ギーガーはこれを受け入れましたが自分がいなけれな映画は完成しないと自信をもっていました。ギーガーの予想通り撮影現場は混乱し、20世紀フォックスはギーガーを呼び戻すことになりました。
このような混乱の中、撮影は1978年10月21日に終了しましたが編集作業に数ヶ月かかりました。1979年5月25日に「エイリアン」が米国で公開されたとき、「オバノン」は自宅に引きこもっていたそうです。映画が受け入れられるかどうか恐怖に慄いていたそうですが、呼び出されて観客の行列や反響を見て感動したそうです。オバノンは「エイリアン」の映画の製作には満足に参加できませんでしたが、その後の「エイリアン」シリーズにおいても原作者としてクレジットされています。
ところでエイリアンと言えばもともとは外国人を意味する英単語です。それまで宇宙人はインベイダーと呼ばれていましたし、エイリアンのような化け物の姿をしたものは怪物や怪獣でした。この映画で「エイリアン」が攻撃的な地球外生命体という意味を持つことになりました。コッブの原図からオバノンの着想で「エイリアン」と呼ぶことになったのですがこれは画期的な命名でした。
自分は「エイリアン」を見て「スターウォーズ」や「未知との遭遇」などのSF映画とは異質なオカルト映画に通じるSFホラー映画と思いました。映画館の大きな銀幕に映る薄暗い気味の悪い映像の中でエイリアンが突然現れるシーンでは、びっくりして悲鳴をあげる観客もいました。
エイリアンは怪物のような姿ではあるがおそらく知的な生命体、そして繁殖が目的で交渉の余地などはない。エリアイアンはそれまでにない斬新な地球外生命体でした。映画のキャッチコピーはこの映画を見る観客に相当なインパクトを与えたことでしょう。
宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない
(In space no one can hear you scream)
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