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2023年7月 6日 (木)

零戦の日(1939年7月6日)

 零式艦上戦闘機(零戦)は九六式艦上戦闘機の後継機として開発されました。零戦の仕様は昭和11年に定められ昭和12年(1937年)10月5日に大日本帝国海軍が提示した要求書に基づき試作名「十二試艦上戦闘機(十二試艦戦)」として開発が進められました。

零式艦上戦闘機一一型 (1941年)
零式艦上戦闘機一一型 (1941年)

 十二試艦戦の要求仕様は当時の戦闘機としては非常に高く中島飛行機は開発を辞退し、三菱による単独の開発となりました。開発は九六式艦上戦闘機の設計者の堀越二郎技師が担当することになりました。堀越二郎は昭和13年(1938年)4月10日に三菱A6M1計画書を海軍に提出し、格闘性能を重視する源田実や航続距離と速度を重視する柴田武雄の相反する要求に応え十二試艦戦の開発を進めました。

 十二試艦戦の試作一号機は三菱重工業名古屋航空機製作所試作工場で製造され昭和14年(1939年)3月16日に完成しました。17日には屋外でエンジンが初始動され地上運転試験が行われました。その後、この試作一号機は分解され24日に岐阜県各務原飛行場に運ばれました。到着後、組み立てられた試作一号機は入念な整備が行われました。そして4月1日に三菱による試験飛行が行われました。これが十二試艦戦の初飛行となりました。その後も試験飛行が重ねられてプロペラが二翼から三翼に変更されたり、高速飛行時の舵の効き過ぎなどの諸問題が改良が施されました。

 改良を重ねた十二試艦戦の試作一号機は同年7月6日に海軍による初の官試乗が行われました。このとき試作一号機を操縦したのは海軍航空廠飛行実験部の戦真木成一大尉と中野忠二朗少佐でした。この官試乗に因み昭和14年(1939年)7月6日は零戦の日とされています。

 試作機は三号機まで作られ昭和15年(1940年)7月24日、零式一号艦上戦闘機一一型として制式採用されました。なお零戦の名前は採用された昭和15年(1940年)は神武天皇即位紀元(皇紀)2600年にあたるのでその下二桁00から零式とされました。当時の日本の軍用機の型式にはその軍用機の採用年次の皇紀下2桁を使用するという規定に従ったものです。

 次の写真は現存するオリジナルの機体とエンジンで飛行可能な唯一の零戦五二型61-120号機です。

零戦五二型61-120号機
零戦五二型61-120号機

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零戦五二型61-120号機

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