歌舞伎「東海道四谷怪談」の初演(1825年7月26日)
東海道四谷怪談は鶴屋南北作の歌舞伎狂言。文政8年(1825年)7月26日に江戸中村座で初演さました。四谷怪談は元禄時代に江戸の雑司ヶ谷四谷町(現:豊島区雑司が谷)で起こった事件をもとに作られた怪談です。
この事件は文政10年(1827年)に「文政町方書上」の中の「四谷町方書上」に記録が残されています。この書物は各町に関わる逸話などを幕府に報告するために町年寄の孫右衛門と茂八郎によって提出されたものです。
この記録によると貞享年間(1684年 〜 1688年)に四谷左門町に31歳の田宮伊右衛門という人物が住んでいました。伊右衛門は婿養子として21歳のお岩と結婚しましたが別の娘とも結婚し子どもを儲けてしまいました。このことがきっかけでお岩は気がおかしくなり失踪してしまいました。その後、伊右衛門の関係者が次々と亡くなり合計18人の犠牲者が出て田宮家は断絶しました。この一連の出来事はお岩の祟りとされました。時は流れて元禄年間に田宮家の跡地は売却されましたが、正徳5年(1715年)に山浦甚平がこの地に住むと奇怪な事件が起きました。甚平は菩提寺の妙行寺に稲荷を祀ったところ奇怪な現象が鎮まり落着しました。
この事件をもとに「夫の伊右衛門の裏切りで命を落とした貞女な妻のお岩が幽霊となって現れて復讐を果たす」という物語が創作され、日本の有名な怪談のひとつになりました。
四谷左門町の田宮家跡地に建立された於岩稲荷田宮神社は明治12年(1879年)に焼失し現在の中央区新川に移動しました。新川の於岩稲荷田宮神社は第二次世界大戦で焼失しましたが再建されました。また昭和27年(1952年)に四谷左門町の田宮家跡地に於岩稲荷田宮神社が再興されました。道を挟んで昭和初期に建立された於岩稲荷陽運寺があります。お岩稲荷が複数建立された背景には四谷怪談の人気による観光で賽銭や土産物で地元が潤ったからと考えられています。
さて四谷怪談のもとになったとされる「四谷町方書上」が報告されたのは文政10年(1827年)でした。一方、歌舞伎の東海道四谷怪談の初演は文政8年(1825年)です。このことから「四谷町方書上」のお岩の話は鶴屋南北の東海道四谷怪談のもとになった語として書かれたのではないかという説もあります。しかし、お岩稲荷が現存することなどから何らかの事件があったことは否定できません。
【関連記事】 歌舞伎「東海道四谷怪談」の初演(1825年7月26日)
・歌舞伎十八番の勧進帳(かんじんちょう)
・「八百屋お七」の物語(旧1683年3月28日)
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