ドランドの悲劇(1908年7月24日)
イタリアのドランド・ピエトリ(1885年生まれ)は菓子店で働いていました。1904年にピエトリは地元で開催されるマラソン大会にイタリアでもっとも有名な長距離走者ペリクーレ・パグリアーニが参加することを知り自身も出場することにしました。このレールにおいてピエトリはパグリアーニより先にゴールしました。これがきっかけとなってピエトリはマラソン選手に転向しました。
マラソン選手となったピエトリはすぐに頭角を現し1906年アテネオリンピックのイタリア代表に選ばれました。しかし、アテネオリンピックでトップを走っていたときに体調不良に陥り途中で棄権しました。翌1907年のイタリア選手権で優勝したことでイタリアをもっとも有名な長距離走者となりました。
1908年ロンドンオリンピックに出場することになったピエトリは練習を重ねタイムを縮めていきました。1908年7月24日、ピエトリは金メダル獲得の期待を受けてマラソンのスタート地点ウィンザー城を後にしました。この日は選手への負担が危ぶまれるほど非常に暑い日でした。ピエトリ はレース前半はスローペースで走り、レース中盤からスピードをあげていきました。32 km地点で2位となり、39 kmでついにトップに躍り出ました。
ゴールまで約2 kmとなったところでピエトリは喉の渇きと疲労感を自覚し始めていました。そして体調が急激に悪化していったのです。ピエトリは何とか走り続けついゴールのあるホワイトシティ・スタジアムにたどり着きましたが、あまりの疲労で進む方向を間違えそうになりました。係員が正しい方向を指し示したとき、ピエトロは地面に倒れ込んでしまったのです。ピエトロは係員よって抱き上げられ再びトラックを走り始めました。しかし、ピエトロはその後4回も倒れ込み、そのたびに係員に援助されながらゴールをめざしました。
係員の援助を受けながらピエトリは2時間54分46秒でゴールしましたが最後の350メートルを走るのに10分も要しました。その後、アメリカのジョニー・ヘイズがわずかな差で2着でゴールしました。この様子を見ていたアメリカのチームはピエトリが係員の援助を受けていたことに対して抗議しました。ヘイズの記録は2時間55分18秒でしたからピエトリが係員の援助を受けていなければ1着なっていたことは明らかでした。 アメリカチームの主張は認められ、その結果としてピエトリは失格となり記録も抹消されました。
ホワイトシティ・スタジアムでこの様子を見守っていたアレキサンドラ王妃は不幸にも金メダルを失うことになったピエトリに対して銀のカップを授与することを決めました。このとき医師としてスタッフとなっていた作家のアーサー・コナン・ドイルが授与式の開催を提案しました。ドイツもピエトリに金のシガレットケースを贈っています。ピエトリは記録を抹消されましたが記憶に残る選手となったのです。アメリカの作曲家アーヴィング・バーリンは「ドランド」というタイトルの曲をピエトリに捧げています。
この1908年ロンドンオリンピックのマラソン大会は「ピエトリの悲劇」と呼ばれ語り継がれることになったのです。現在ホワイトシティ・スタジアムは存在しませんがゴール地点だった場所は残されています。この後、ピエトリは同年11月25日に米国ニューヨーク州マディソン・スクエア・ガーデンで行われたエキシビションレースへの参加を要請されました。このレースにはピエトリとヘイズが参加し、ピエトリが優勝しました。翌年のレースにおいてもピエトリが優勝しています。
ピエトリは1910年5月にブエノスアイレスで開催されたマラソンで2時間38分48秒2の自己ベストを達成しましたがこれが彼の最後のマラソン参加ととなりました。マラソンの成績は17戦、優勝8回、2位1回、6位1回、棄権6回、失格1回です。その後、1911年9月にイタリアのパルマで行われた15kmのレースで優勝、同年10月にスウェーデンのヨーテボリ で開催されたレースで優勝し引退しました。
こうして「ピエトリの悲劇」の主人公ドランド・ピエトリは記録にも記憶にも残るマラソン選手になったのです。
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