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2023年6月10日 (土)

映画「ドラゴン危機一発」日本公開(1974年4月13日)|危機一髪でない理由

 ブルース・リー主演の1971年の映画「ドラゴン危機一発」。製作は香港ゴールデン・ハーベスト社です。この映画の原題は「唐山大兄」、英訳はThe Big Bossです。原題にも英題にも「ドラゴン」「危機一発」を意味する単語は含まれていません。ドラゴンは先に日本で公開された「燃えよ!ドラゴン」(Enter the Dragon)由来でしょうが、「危機一発」の方は原題ともストーリーとも何の関係もありません。どうしてこの映画の題名は「危機一発」になったのでしょうか。日本語の熟語としては「危機一髪」が正しく、「危機一発」という熟語はありません。

ブルース・リー「ドラゴン危機一発」
ブルース・リー「ドラゴン危機一発」

 さて日本で「ドラゴン危機一発」が公開されたのは1974年4月13日で製作から3年も経過してからことです。その理由は「燃えよ!ドラゴン」が1973年12月22日に日本で公開されるまでブルース・リー主演の香港映画は注目されていなかったからです

 「燃えよ!ドラゴン」が公開されるとブルース・リーは大人気となりましたが、ブルース・リー自身は「燃えよ!ドラゴン」日本公開前の1973年7月20日にこの世を去っていました。それはブルース・リー主演の新作が製作されることはないことを意味していました。

 日本では「燃えよ!ドラゴン」は松竹系列の映画館で公開されましたが配給はワーナー・ブラザース日本支社でした。特に続編があるわけでもない状態で大人気となったブルース・リー主演の映画に日本の映画配給会社が注目しました。そのなかで東宝東和か香港に出向きゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウと交渉しブルース・リー主演の映画3本を買い取りました。それが後の「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」の3本の映画です。

「ドラゴン怒りの鉄拳」は原題は「精武門」ですが英語の題名「Fist of Fury」にドラゴンを付けた題名になりました。「ドラゴンへの道」は原題は「猛龍過江」、英語の題名は「The Way of the Dragon」ですが「ドラゴン電光石火」という題名になりました。なお「ドラゴン電光石火」は後に配給の権利が東映に移り「ドラゴンへの道」として公開されました。

残る「ドラゴン危機一発」については原題や英題、内容にも関係なく1972年に再上映された007シリーズの2作目「007ロシアより愛を込めて」が1963年に公開されたときの邦題「007危機一発」を参考に決められました。

「007危機一発」の原題は「From Russia with Love」ですから「ロシアより愛を込めて」が日本語訳になります。しかし、007の危機一髪な活躍を見た映画評論家の水野晴郎さんが銃弾の「一発」をかけて「危機一発」としました。この危機一発という造語は1956年の東映映画「御存じ快傑黒頭巾危機一発」の題名にも使われています。「007危機一発」「ドラゴン危機一発」のヒットのため危機一髪を危機一発と間違える人が増えたそうです。

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