隅田川の勝鬨橋が完成(1940年6月14日)
勝鬨橋は東京の隅田川に架けられた築地と月島を結ぶ橋です。この橋はかつては跳開式の可動橋でしたが1980年に可動橋としての役割を終え現在は橋が開くことはありません。
明治25年(1892年)の東京湾澪浚計画により築地に対面する海が工業用地として埋め立てられ月島と名付けられました。間もなく月島には工場や倉庫がたくさん建てられました。やがて築地と月島を結ぶ橋の建設が計画されましたが実現することはありませんでした。
明治38年(1905年)、日露戦争の旅順陥落の勝利を記念し海軍発祥の地である築地に「勝鬨の碑」が設置され、有志により現在の勝鬨橋のやや下流で築地と月島を結ぶ手漕ぎの渡し船「勝鬨の渡し」の運航が始まりました。もともと月島にはたくさんの工場があり交通の需要があったことから多くの人々が「勝鬨の渡し」を利用するようになりました。大正4年(1915年)には乗船客の増加により渡し船は汽船となりました。昭和になると築地と月島を結ぶ交通の需要はさらに増加し、昭和4年(1929年)の「東京港修築計画」により橋が架けられることになりました。
隅田川に橋を架けると川を運航する船舶が通れなくなります。そこで数千トンクラスの大型船舶が運航できる橋を建設することになりました。高架橋にすると建設費用がかさむことから跳開式の可動橋とすることになりました。勝鬨橋は昭和15年(1940年)に月島で開催する皇紀2600年の記念事業である紀元2600年記念日本万国博覧会に合わせて建設されることになりました。日本の技術力の高さを誇示するためデザインから建設まで日本人の手で行われることになりました。建設工事は昭和8年(1933年)6月に始まりました。建設には6年間を要し、昭和15年(1940年)6月14日に完成しました。こうして東洋一の可動橋と呼ばれる勝鬨橋が完成しましたが、紀元2600年記念日本万国博覧会は日中戦争の激化により中止となりました。
勝鬨橋には路面電車のレールが敷設され昭和22年(1947年)から昭和38年(1968年)まで都電が運航していました。橋の跳開は1日5回、1回につき20分程度開き、その間に船が航行するようになっていました。やがて隅田川の船舶の通行量が少なくなり陸路の交通量が増えたことから1950年代以降は勝鬨橋の跳開する回数が減少しました。
1964年の東京オリンピック開催に向けて隅田川の「佃の渡し」の位置に佃大橋が架けられると、勝鬨橋の跳開は月島の倉庫へ向かう船舶のみとなり、跳開は数日に1回程度になり年間の跳開回数は100回以下となりました。船舶を航行させるための跳開が最後に行われたのは昭和37年(1967年)、その後は年1回に作動確認が行われましたが昭和45年(1970年)11月29日を最後に跳開を停止しました。昭和55年(1980年)には送電が停止され可動部も固定、これによって勝鬨橋は跳開しない可動橋となりました。
#昭和の東京シリーズ 第13回 東京の橋(昭和31年(1956年)制作)
勝鬨橋は西岸良平先生の「三丁目の夕日」に登場し昭和の在りし日の様子が描かれています。勝鬨橋の跳開の様子など詳しく描写されています。このエピソードは映画でも再現されました。
Amazonのサイトで試し読みすることができます。
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