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2023年6月23日 (金)

南極はどこの国?|南極条約が発効(1961年6月23日)

 地球の南方に大きな大陸が存在するという考えは紀元前の古代ギリシアの時代からありました。もちろんこれは自然哲学的な思考によるもので実際に南極大陸が発見されていたわけではありません。しかし、当時の人々は地球は対称性があり北半球の大陸群とバランスを取ることができる大きな大陸が南方に存在するはずと考えたのです。

 南方で氷山が発見されたのは紀元後のことです。15世紀以降の大航海時代では南洋の探検が盛んに行われ卓状の氷山も発見されていますが、18世紀後半のジェームス・クックの南極圏の探検では南極大陸の発見には至りませんでした。

 南極大陸が発見されたのは19世紀に入ってからです。1820年にロシア海軍ファビアン・ゴットリープ・タッデーウス・フォン・ベリングスハウゼン、イギリス海軍エドワード・ブランスフィールド、アメリカ人アザラシ漁師で探検家ナサニエル・パーマーが氷山とは異なる氷の地形を発見したことを報告していますが3人のうち誰が最初に南極大陸を発見したのかは判明していません。彼らの発見後、南極大陸への上陸が行われるようになりました。当初は南極大陸は探検の対象とされていましたが南極は環境が厳しく人類が定住することは困難なためこの地を実行支配しようとする国はありませんでした。

南極大陸の地図
南極大陸の地図

 20世紀に入るとイギリスが南極大陸に基地を設営し内陸部の探検を始めました。1908年にイギリスは探検した範囲の諸島の領有権を主張、これをきっかけに他の国々も一定の範囲の領有権を主張するようになりました。国際法による国家の領有権の根拠は他の国に先んじてその地を実行支配してきかどうかの先占に基づきますが、南極大陸は先占が不可能なため一定の範囲の領有権を主張するセクター主義が主張されるようになりました。そして、探検の成果からオーストラリア、ノルウェー、イギリス、ニュージーランド、フランスの5カ国はお互いの承認のうえでそれぞれが主張する地域の領有権を認めるようになりました。またアルゼンチンとチリはイギリスが主張する地域の領有権を主張しました。

 やがて南極探検の対象は科学的調査になり各国が南極基地を設営するようになりました。当初は基地の生活は厳しい環境でしたが、科学技術の進歩によって定住が可能となり実効支配の可能性も出てきました。そこで南極の調査研究で国際協力体制を築く日本、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカの12か国が南極の平和的目的利用のため1959年12月1日に南極条約を締結、1961年6月23日に発効されました。この条約により南極の軍事利用は禁止され、南極の特定地域を実行支配する軍事行動はできなくなりました。

 しかしながら、前述の各国の領有権の主張は南極条約締結以前のことです。南極条約の第4条には、締結国の過去の領有権主張の放棄はしないこと、条約が有効期間中は締約国は領有権の新たな主張や拡大の主張は禁止されるとあります。つまり過去の領有権は棚上げ状態になっているものの無効になったわけではないことを意味します。

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