初代タイガーマスクがデビュー(1981年4月23日)
1970年代、日本プロレスが分裂しジャイアント馬場が率いる全日本プロレスとアントニオ猪木が率いる新日本プロレスのテレビ中継が行われていました。当時の覆面レスラーと言えばザ・デストロイヤーやミル・マスカラスが人気を博していました。ザ・デストロイヤーは「覆面十番勝負」で多くのマスクマンと戦い人気を博し、ミル・マスカラスはメキシコのルチャ・リブレ出身でフライング・クロス・チョップやダイビング・ボディ・アタックなどの空中殺法で多くのファンを魅了しました。ザ・デストロイヤーとミル・マスカラスは全日本プロレスのマットに登場していましたが、新日本プロレスではドラゴン藤波辰爾の対戦相手としてメキシコのエル・カネックなどが登場していますが、大人気となるようようあ覆面レスラーはいませんでした。
昭和56年(1981年)4月20日、プロレス漫画やアニメで大人気だった梶原一騎原作・辻なおき作画「タイガーマスク」(1969-1971)の続編「タイガーマスク二世」が始まりました。テレビ朝日系列だったため新日本プロレスが協力しアントニオ猪木を始めとする選手が実名で登場しました。そして同年4月23日に新日本プロレスのマットにタイガーマスクという実在の謎の覆面プロレスラーがデビューすると発表されたのです。タイガーマスク登場は友人との間でも噂になりましたが、タイガーマスクの覆面をつけて闘うだけだろうと思っていました。そして、このようにしてデビューするプロレスラーが少なからずマットから消え行くことも知っていたのです。
昭和56(1981年)4月23日木曜日、タイガーマスクは蔵前国技館でのダイナマイト・キッド戦でデビューしました。この試合は翌日24日に放送されたワールドプロレスリングで中継されました。この日、タイガーマスクのデビュー戦を見たことを覚えています。
タイガーマスクのテーマソングとともに黄色いマスクに青いタイツのタイガー・マスク二世の出で立ちの覆面プロレスラーが登場します。その覆面レスラーはコーナーポストに軽々と駆け上がるのですが観客もテレビを見ていた視聴者も嘲笑に近い笑いで迎えていました。覆面がアニメのマスクとは全く異なりマントも雑なものであったことも笑いを誘ったに違いありません。自分もテレビの前で何だこの覆面レスラーは!という感じで見ていました。対戦相手は藤波辰爾と好勝負をしていたダイナマイド・キットです。本当にタイガーマスクと呼ぶだけの実力がある覆面レスラーなのか、そんな感じで見ていました。
ところがゴングがなるとこの覆面レスラーは軽快なステップを見せサマーソルトキックでダイナマイド・キッドを威嚇します。この動きを見た観客の笑いが止まり固唾を呑んで見ましたが直ちに凄いレスラーがデビューしたことを理解します。覆面レスラーは素早い動きでダイナマイド・キッドを翻弄し最後はジャーマン・スープレックス・ホールドでマットに沈めました。観客は覆面レスラーの活躍に大興奮で大喜び、テレビを見ていたプロレスファン、とりわけ子どもたちの心を鷲づかみにしたのです。それはこの覆面レスラーが名実ともにタイガー・マスクであると認められた瞬間でもありました。
次の日は土曜日でしたが当時は週休二日制ではなく半ドンだったのです。学校では朝から友人たちとタイガーマスクの話題で盛り上がりました。当時、プロレスに超絶詳しい友人がいて彼はタイガーマスクの正体はサヤマだと言っていました。しかし、自分を含めて多くの友人たちはそれを聞き流してタイガーマスクは国籍不明の謎のプロレスラーと考えたのです。猛虎伝説の始まりでした。
新日本プロレスはアントニオ猪木を代表とするストロングスタイルのプロレスが中心でしたが、タイガーマスクはストロングスタイルに加えてブルース・リーのような打撃技とルチャリブレの空中殺法を繰り出す革新的なスタイルでした。当時、実況を行っていた古館伊知郎アナウンサーはタイガーマスクの繰り出す技を「四次元プロレス」「四次元殺法」と名付けました。スペース・フライング・タイガー・ドロップなどの大技でマットを縦横無尽に駆け抜けるタイガーマスクはまさに3次元を超えた世界から技を繰り出しているように見えたのです。
そしてタイガーマスクを倒すための刺客もたくさん送り込まれました。メキシコからやってきたマスクマンとの戦いは原作を彷彿させるものでした。ブラックマン、エル・ソリタリオ、エル・ソラール、エル・カネック、ブラックタイガーなど蒼々たる顔ぶれでした。日本人ではグラン・浜田、小林邦昭などとの名勝負もたくさんありました。
タイガーマスクは大人気となりましたがデビュー2年後に事件が起こりました。原作者の梶原一騎さんが1983年5月に出版社とのトラブルで逮捕されたのです。この事件によってタイガーマスクは改名することを同年8月に発表しました。しかしながら8月10日に新日本プロレスとの契約解除をし電撃的に引退したのです。9月にはスポーツ新聞紙上で素顔と正体が佐山サトルであることが公開され、さらに「欽ちゃんのどこまでやるの?」にゲスト出演し観客の前であっさりとマスクを脱いだのです。
サヤマだと当てた友人が脚光を浴びたのは言うまでもありません。その友人は佐山悟とマーク・コステロの試合、イギリスで活躍したサミー・リーの話、ブラック・タイガーがサミー・リーの宿敵マーク・ロコであることなどを得意げに説明していました。当時はそれを証明するような資料は手元にはありませんでしたが、彼はすっかり皆のプロレス博士となっていました。自分が初めてサミー・リーの試合を見たのはYouTubeでした。タイガーマスクが引退して20年以上もたっていました。
1983年4月23日のデビュー以来、タイガーマスクは2年4ヶ月にわたって活躍、通算の成績は155勝1敗9分けでした。1敗はダイナマイト・キッドとの試合での反則負けでした。
マットからいなくなってしまったタイガー・マスク、その後の佐山悟さんの活躍、ザ・タイガーやスーパー・タイガーとしての活躍など、初代タイガーマスクは当時の子どもたちの永遠のヒーローです。
【関連記事】
| 固定リンク | 0
「スポーツ」カテゴリの記事
- 東京競馬場が開場(1933年11月8日)(2023.11.08)
- 冒険オートバイ・チャンレンジマシーン(2023.11.06)
- 1964年東京オリンピックの閉会式(1964年10月24日)(2023.10.24)
- 長嶋茂雄引退「わが巨人軍は永久に不滅です」(1974年10月14日)(2023.10.14)
- 相撲の土俵が釣屋根に(1952年9月21日)(2023.09.21)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- ピザ・マルゲリータの由来とイタリア国旗の関係|ピザの日(11月20日)(2023.11.20)
- 西陣の日(文明9年11月11日)(2023.11.11)
- 点字の日(1890年11月1日)(2023.11.01)
- ラシュモア山の大統領像完成(1941年10月31日)(2023.10.31)
「今日は何の日」カテゴリの記事
- プレイステーションの日(1994年12月3日)(2023.12.03)
- 空母「信濃」沈没(1944年11月29日)(2023.11.29)
- ベートーヴェンの「皇帝」公開初演の日(1808年11月28日)(2023.11.28)
- 東大赤門こと旧加賀屋敷御守殿門が建立(文政10年11月27日1828年1月13日)(2023.11.27)
コメント