チャーリーのルーツ|チャップリンの日(1889年4月16日)
4月16日はイギリス出身の俳優チャールズ・スペンサー・チャップリンの誕生日1889年4月16日に由来し「チャップリンの日(チャップリンデー)」とされています。チャップリンはもともとコメディアン(喜劇俳優)でしたが才能に満ちあふれ脚本や作曲も手がけ映画監督、プロデューサーとしても活躍しました。
チャップリンの特徴と言えば、ちょび髭の顔に山高帽をかぶり、たぶだぶのズボンに大きなどた靴、手にはステッキという独特ないでたちです。チャップリンが放浪者チャーリーとして始めて銀幕に登場したのは1914年2月7日の映画「ヴェニスの子供自動車競走」と言われています。しかし、チャップリン自身は同年2月9日公開の映画「メーベルの窮境」と回想しています。どちらが正しいのか論争がありましたが「ヴェニスの子供自動車競走」が2作目で「メーベルの窮境」が3作目です。しかし、当時の記録から「メーベルの窮境」が「ヴェニスの子供自動車競走」より先に制作されていたことが判明しています。チャップリンが記憶が正しく「メーベルの窮境」がチャーリーの姿で製作された最初の映画と考えられます。チャップリンの1作目は1914年2月2日公開の映画「成功争ひ」ですがチャップリンの山高帽やスティックを持つ姿はチャーリーには似ているものの異なる衣装でした。
チャップリンのチャーリーのルーツ
「ヴェニスの子供自動車競走」(左)と「メーベルの窮境」(右)
チャップリンが広く知られるようになったのは1915年4月11日公開の4作目の映画「チャップリンの失恋」です。チャップリンはこの映画で小さな放浪者(The Little Tramp)を演じました。サイレント映画の時代の銀幕の中で奇抜な格好で動き回るチャーリーは観客を魅了し、チャップリンは世界的に大人気なコメディアンとなったのです。
チャップリン映画は笑たったり喜んだりする「ドタバタ劇」と寂しくなったり心温まったりする「哀愁劇」の組み合わせです。そこに社会や政治の風刺が取り入れらた作品が多くの観客の心をつかみ、そして賛否両論もありました。
【関連記事】チャーリーのルーツ|チャップリンの日(1889年4月16日)
・チャーリー・チャップリン生まれる 映画「独裁者」の演説の内容
・映画「街の灯」米国で公開(1931年2月6日)
・映画「明日に向かって撃て!」の2人の最期(1908年11月7日)
・ミッキー・マウス「プレーン・クレイジー」に登場(1928年5月15日)
・西部劇「ローハイド」が日本で放送開始(1959年11月28日)
・映画「2001年宇宙の旅」一般公開(1968/04/06)
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