元素の周期表を考えた人たち
古代の科学者たちは物質は「火」「土」「水」「空気」の四元素からできていると考えました。特にアリストテレスの四元素説は古代ギリシアや古代ローマの時代から19世紀頃まで広くヨーロッパで支持されました。四元素説を最初に唱えたのは古代ギリシアの自然哲学者エンペドクレスですが、これを発展させたアリストテレスの四元素説の方が後々まで広く支持されたのです。
古代ギリシア学者デモクリトスは「ものを分けていけば、もうそれ以上分けることができないものになるはずだ」と考えましたが、この考え方は受け入れられませんでした。17世紀にアイルランド出身のロバート・ボイルは理論的に同じような考えを提唱しましたが理解されませんでした。
18世紀の後半、フランスのアントワーヌ・ラヴォアジエはボイルの考え方を追及し、水素と酸素の性質を明らかにしました。そして彼はそれまで有力であった4元素説を否定し「元素とはそれ以上分解できないものである」と再定義し33種類の元素を掲載した表を発表しました。
19世紀の初めにイギリスのジョン・ドルトンが原子論を発表すると、科学者たちは競って新しい元素の発見に取り組むようになりました。元素が発見されていくにつれて、多くの科学者は元素がその性質によって分類できるのではないかと考えました。
1862年、フランスのベギエ・ド・シャンクルトワは元素を原子量の順番で円筒の表面に立体的にらせん状に並べていくと、ちょうど原子量が16番ごとによく似た性質をもつ元素が重なることに気がつきこれを「地のらせん」と呼びました。同じように1864年、イギリスのジョン・ニューランズは元素を原子量の順に並べて行くとまるでドレミの音階のように8番ごとに性質が良く似た元素が現れることに気がつき、1865年に「オクターヴ説」を発表しました。
このような中、1863年にロシアのドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフは当時発見されていた63種類の元素に対応する原子を原子量の順に並べると同じ性質の元素が周期的に現れることを見い出しました。1869年にそれを表にまとめ、この表を「元素の周期表」と名付けました。
シャンクルトワやニューランズのように多くの科学者が「元素は同じ性質の元素が周期的に現れる」ことを示し表を作りましたが、現在ではメンデレーエフが周期表を作った人として知られています。それは多くの科学者が当時見つかっていた元素に対して表を作ったのに対し、メンデレーエフは表を作るにあたって元素が存在しないところには未知の元素があるはずだと予言して空欄にしていたからです。その後、その空欄に入る元素が次々と発見されていきメンデレーフの周期表の正しさが実証されたのです。
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