零戦五二型61-120号機
この写真は帝国日本海軍の零式艦上戦闘機五二型61-120号機です。61-120号機は1944年に製造番号5357の機体として中島飛行機小泉工場で製造されました。当時、サイパン島の防衛に当たっていた通称「虎部隊」こと第二六一海軍航空隊に配属されました。
1944年6月、「サイパンの戦い」が起こり米軍によりサイパン島の第一基地が占拠されました。このとき無傷の零戦12機(もしくは14機)が米軍に接収されました。12機の零戦は空母コパヒーで米国本土に送られました。米軍は状態の良い4機選び脅威的存在だった零戦の性能試験を実施し、零戦に匹敵する戦闘機の開発に取り組みました。
第二次世界大戦後、これらの零戦は民間に払い下げられました。61-120号機、61-121号機、61-131号機の3機が現存しており、それぞれ、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館、フライング・ヘリテージ・コレクション、国立航空宇宙博物館に収蔵・展示されています。
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館は1963年の移転をきっかけに61-120号機を飛行させる企画を立ちあげ1970年代に一部の部品を取り替えて修復し、オリジナルの機体とエンジンで飛行可能な唯一の零戦となりました。
61-120号機は昭和53年(1978年)に里帰りし木更津飛行場をはじめ国内数カ所の飛行場を訪れ試験飛行を行いました。最初の写真はこのときのものです。その後、平成7年(1995年)に来日し試験飛行を行いました。平成24年(2012年)12月から平成25年(2013年)8月には試験飛行は行われなかったものの埼玉県の所沢航空発祥記念館で展示されました。
タミヤ 1/48 零式艦上戦闘機 52型/52型甲 プラモデル
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