ザ・ベストテン放送開始(1978年1月19日)
「ザ・ベストテン」は昭和53年(1978年)1月19日にTBSで放送が開始された歌番組です。毎週木曜日午後9時から生放送で放送されました。
この時代は歌謡曲が隆盛で各放送局で多くの歌番組が放送されていました。しかし、歌手が出演して歌うだけの番組はマンネリ化していました。そこでトークショーやコントなどを組み入れた歌番組が企画されるようになりました。
TBSでは昭和51年(1976年10月)から「トップスターショー・歌ある限り」が放送されていましたが視聴率がふるわず、それまでとは違う新しい音楽番組を企画することになりました。そこで出てきたアイデアが人気曲を第10位から第1位まで順次発表し歌手が登場して歌うベストテン形式の番組とするものでした。この企画はすぐに了承され制作の準備が始まりました。
当時の日本の音楽は従来の歌謡曲の他にニューミュージックが台頭し始めた頃でした。この分野のミュージシャンはテレビに出演しないことが多いことから、そのままベストテンを発表すると歌手が登場せず番組が成り立たなくなることが危惧されました。そこでベテランスタッフたちが番組が独自に選んだベストテンを発表することを提案しましたが、若手スタッフたちはありのままのベストテンを発表することを提案しました。両者の意見は対立し折り合いがつかなくなりましたが、最終的には若手スタッフの意見が取り入れられることになりました。
昭和52年(1977年)12月27日、「トップスターショー・歌ある限り」の最終回が放送され「第19回日本レコード大賞」でノミネートされた10組の歌手が出演しました。この番組の司会を務めていたのが俳優の二谷英明さんと当時TBSアナウンサーの久米宏さんでした。
番組の終わりに二谷さんか番組の放送終了が告知されると、後番組「ザ・ベストテン」の司会者の黒柳徹子さんが登場し新番組の案内を行いました。また久米宏さんは「ザ・ベストテン」にも引き続き出演し司会を務めることになりました。2人は同年12月31日に放送された「第19回日本レコード大賞」で司会を務めています。
「ザ・ベストテン」は当時の人気曲をほぼそのまま発表していたためベテランスタッフが危惧していた通りニューミュージックのミュージシャンが出場辞退をする事例が多々ありました。その分、当時のアイドル歌手のトークやスタジオ演出に時間をかけることができたり、アイドル歌手が移動中の新幹線のホームなどからテレビ中継で出演して歌うなどの斬新な企画が盛り込まれました。
こうして「ザ・ベストテン」は当時を代表する定番の音楽番組となりました。多くの人が木曜日の午後9時にテレビの前で「ザ・ベストテン」を楽しみました。「ザ・ベストテン」を見てるだけで日本で流行している歌がわかり、そして様々な演出やハプニングが楽しみとなり、金曜日には「昨日のザ・ベストテン見た?」と話題に出るほど人気だったのです。
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