壱万円札が初登場(1958年12月1日)
現在流通している壱万円札は2004年に発行された一万円券のE号券で表面には福沢諭吉、裏面には平等院鳳凰堂の鳳凰像が印刷されています。
ひと昔前までは壱万円札と言えば表面に聖徳太子、裏面に鳳凰が印刷されたC号券です。このC号券が発行されたのは昭和33年(1958年)12月1日で、壱万円札としては初めて発行された一万円券となりました。昭和33年、日本は第二次世界大戦敗戦後の復興が進み高度経済成長時代にありました。映画「三丁目の夕日」の時代です。
第二次世界大戦が終了すると日本ではものの値段が上がりお金の価値が下がるインフレーションが起こりました。日常的に使われる貨幣の単位が銭から円となり、国家予算レベルだった万の単位の円が市場で取り引きされるようになりました。
昭和28年(1953年)に表面に笏を持っていない聖徳太子と法隆寺、裏面に鳳凰が印刷されたB号一万円券の製造発行が発表されましたが、さらなるインフレーションにつながるという指摘が多く白紙撤回されました。昭和30年(1955年)頃から神武景気(数量景気)と呼ばれる好景気の時代を迎えると、日本は飛躍的に経済成長しました。国内経済も安定し当時の最高額面の紙幣であったB千円券が多量に出回るようになると再び高額紙幣の必要性が高まりました。そこで政府は五千円冊と壱万円札の発行を決定しました。当初は壱万円札を最初に発行すり予定でしたがインフレーションの懸念やお釣りを揃えるのが大変だという指摘もあり、昭和32年(1957年)に先行して五千円札が発行され、様子を見て昭和33年(1958年)に壱万円札が発行されました。当時の大卒の初任給は1万数千円でしたが、高度経済成長に伴い壱万円札の流通量が増えていきました。
昭和59年(1984年)のD号券が発行されたときには五万円札や拾万円札の発行も検討されましたが見合わされました。2024年上期には表面に渋沢栄一、裏面に東京駅丸の内駅舎が印刷された新しい一万円券が発行される予定です。
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