映画「燃えよドラゴン」日本公開(1973年12月22日)
映画「燃えよドラゴン」は1973年に公開されたブルース・リー主演のアクション映画です。制作はゴールデン・ハーベスト傘下でブルース・リーが代表を務めたコンコルド・プロダクションとワーナー・ブラザースの合作です。監督はロバート・クローズですが、武道精神やアクションに関する部分は実質的にブルース・リーが監督しています。
「燃えよドラゴン」の英語タイトルは「Enter the Dragon」です。Enterは入るという意味があり、何となくハンの島への侵入をイメージしますが、このEnterは「登場」や「参上」のような意味です。ですから日本語訳は「ドラゴン登場」「ドラゴン参上」のようになるのですが、司馬遼太郎の新撰組の小説「燃えよ剣」をヒントに「燃えよドラゴン」と名付けられました。
「燃えよドラゴン」は1973年7月26日に香港で公開、続いて8月17日に米国で公開されました。日本で公開されたのは12月22日です。「燃えよドラゴン」が公開されるとブルース・リーとカンフー映画が世界中で大人気になりました。その後、ブルース・リーは世界のアクションスターとしての不動の地位を築きあげましたが、当のブルース・リーは「燃えよドラゴン」公開前の1973年7月20日にこの世を去っていました。
「燃えよドラゴン」には多くの名シーンがありますが、自分は冒頭で少年を指導するシーンが好きです。このシーンにはブルース・リーの武道に関する名言が詰まっています。
「Don't think. Feel. It is like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all that heavenly glory.」
さてこのシーンでブルース・リーに説教される少年を演じたのは董瑋(トン・ワイ)という上海出身の香港の俳優です。1954年生まれですので現在は68歳、「燃えよドラゴン」公開時点では19歳と思います。董瑋はその後も多くの映画に出演し、武術指導を行うようになり監督も務めました。「新・霊幻道士 風水捜査篇」は董瑋が監督した映画で日本人ボディービルダーの西脇美智子さんが出演しています。
【関連記事】映画「燃えよドラゴン」日本公開(1973年12月22日)
・BRUCE LEE'S NUNCHAKU IN ACTION
・ブルース・リー 死亡遊戯ワイド特集号 月刊スクリーン 1978年5月号臨時増刊
・ブルース・リー最新特集号 月刊スクリーン 1979年9月号臨時増刊
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