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2022年11月10日 (木)

リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?(1877年11月10日)

 「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」。1877年11月10日、ニューヨーク・ヘラルド紙の特派員ヘンリー・スタンリーがアフリカ大陸のタンザニアの街ウジジ近くでスコットランドの探検家・宣教師デイヴィッド・リヴィングストンに出会ったときの言葉です。当時、この言葉がイギリスで偶然に人に出会ったときに使われるようになるほど2人の出会いの話は有名になりました。

 リヴィングストンはヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸を探検した人物です。1830年代後半、リヴィングストンは中国で医療を学びながら布教することを目指してグラスゴー大学で医学と神学を学びました。しかし1840年に始まったアヘン戦争の影響で中国行きは断念せざるを得なくなりました。その後、アフリカ大陸での布教に興味を持ちました。当時は未開の地で「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカの内陸を訪れるのは至難の業でしたがアフリカに向かうことを目指しました。

 リヴィングストンがアフリカに向かったのは1840年12月8日、当時イギリス領だったアフリカ大陸南端のケープタウンに向かいました。そして布教の地を探すため北上しアフリカ内陸を探検しました。このときリヴィングストンは夜間に野生のライオンに襲われ左腕に重症を負っています。布教の地は思うように見つからずリヴィングストンは探検を続けました。1854年5月にアフリカ南西部の大西洋沿岸のアンゴラのルアンダに到着、ここで熱病や赤痢で瀕死の状態となりしばらく休息することにしました。この休息中に作成し王位地理協会に送った探検の詳細な報告書が高く評価されました。1854年9月にルアンダを出発して東に向かい1856年3月に、アフリカ大陸南東部のインド洋沿岸のモザンビークのキリマネに到着しヨーロッパ人として初のアフリカ大陸の横断を成し遂げました。同年12、資金を使い果たしたリヴィングストンはイギリスに帰国します。

 帰国後、リヴィングストンのアフリカ大陸探検の実績は高く評価され1857年の著書「南アフリカにおける宣教師の旅と探検」がベストセラーとなりました。探検家としては高く認められたものの、布教はほとんどしていなかったことから宣教師協会から除名されてしまいました。1858年には女王の勅命により再びアフリカ大陸の探検に旅立ちました。第2回目のアフリカ探検は1862年に本国からの帰国命令で終了しました。この探検でも様々な地理的な発見をしていますが第1回目ほどの業績評価は得られませんでした。しかし、このときに執筆した著者「ザンベジ川と支流」がベストセラーとなり、アフリカの奴隷貿易の実体が広く知られるようになり、奴隷解放のきっかけになりました。

 リヴィングストンの第3回目のアフリカ探検は1866年に始まりました。この探検は王位地理協会の要請によるものでナイル川の水源を探るものでした。ナイル川は白ナイル川と青ナイル川から成りますが、青ナイル川の水源がギシュ・アバイの泉であることに対し、白ナイル川の水源はヴィクトリア湖そのものなのかヴィクトリア湖に流れ込む別の水源があるのかよくわかっていませんでした。この探検では奴隷商人の妨害を受け思うように進みませんでした。リヴィングストンは地理的な発見をしていますが体調を崩し休息を余儀なくされました。

 1860年代の終わり、イギリスではリヴィングストンが消息不明で死亡説の噂が流れていました。リヴィングストンの探索も行われましたがすべて失敗に終わりました。1869年10月にニューヨーク・ヘラルド紙の経営者ジェームズ・ゴードン・ベネット・ジュニアが特派員のヘンリー・モートン・スタンリーにリヴィングストンを捜索するよう依頼しました。スタンリーがリヴィングストンの元にたどり着いたのは1871年11月10日です。このとき痩せ衰えたリヴィングストンを見てスタンリーは「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」と声をかけたのです。スタンリーはリヴィングストンに帰国するように言いましたが、リヴィングストンはナイル川の水源の探索の継続を選びました。

スタンリーとリヴィングストン
スタンリー(上左)とリヴィングストン(上右)
リヴィングストンに出会ったスタンリー

 スタンリーはリヴィングストンと数ヶ月を過ごして1872年3月に帰国の途につきました。帰国後スタンリーはリヴィングストンに十分な資金と従者の提供を行いました。リヴィングストンは同年8月に探検を再開しましたが、1873年5月1日に病死しました。ヴィングストンの遺体は1874年4月18日にイギリスに到着しウエストミンスター寺院へ葬られました。このとき本人確認の確たる証拠となったのは第1回アフリカ探検でライオンに襲われたときの左腕の傷跡でした。

 なお白ナイル川の水源はヴィクトリア湖そのものではなくヴィクトリア湖周辺に複数存在すると考えられ、ヴィクトリア湖に注ぐカゲラ川が源流と考えられています。

 

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