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2022年11月22日 (火)

海図から削除された中ノ鳥島(1946/11/22)

 中ノ鳥島(別名ガンジス島)は屋久島や鳥島とだいたい同じぐらいの緯度で日本最東端の南鳥島の北に存在する島として1907年に発見されました。この島の発見の報告を受けた日本政府は1908年にこの島を日本の領土としました。

 中ノ鳥島の発見者は長野県出身で東京都在住の教育者・実業家の山田禎三郎です。禎三郎は1907年8月に島を発見し上陸して測量を行いました。もともとこの場所にはガンジス島が存在すると言われており、海軍省水路部の日本水路誌にも北緯30度47分 東経154度15分に島があると記されていました。禎三郎は発見した島をガンジス島であるとして発見の報告書を島を示す地図とともに1908年5月に小笠原庁に提出しました。

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山田禎三郎

 禎三郎の報告書には、島の位置は北緯30度5分・東経154度2分、大きさは外周約6.67キロメートル、面積約2.13平方キロメートル、珊瑚礁が存在すること、アホウドリが数百万羽生息していること、島の表面は鳥の糞が化石化したグアノでできるリン鉱石で覆われていることが記されていました。日本政府は禎三郎のの報告書をもとに1908年7月にガンジス島の正式名称を中ノ鳥島とし日本の領土にすることを閣議決定したのです。

 火薬や肥料の原料となるリン鉱石が大量に存在する中ノ鳥島は非常に魅力的な島として注目されました。そこでこの島の開発のために多くの船が向かいましたが島は一向に見つかりませんでした。1913年に開拓の目的で民間船「吉岡丸」が調査に向かったときも、1927年9月に軍艦海「満州」が調査に向かったときも中ノ鳥島を発見することはできなかったのです。その後も中ノ鳥島が発見されることもありませんでした。

 第二次世界大戦、日本の範囲がどこまでになるのかを決める必要がありました。日本政府は1946年(昭和21年)11月22日に発表した水路告示第46号でおいて暗礁を含め中ノ鳥島の存在を正式に否定しました。これによって中ノ鳥島は海図から削除されました。

 しかし、どうして中ノ鳥島は再発見できなかったのでしょうか。1907年からわずか10年ほどの間海に沈んでしまったのでしょうか。中ノ鳥島が存在したと言われる海域は水深5,000から6,000メートルの深さが続く北西太平洋海盆にあります。この場所から約100キロメートル離れた場所に水深1,400メートルの隆起があります。この海山が中ノ鳥島であるという説もありますが、わずかな期間で島が1,400メートルも浸食されることはありません。また島が沈降するような火山活動や断層のずれが生じたという記録もありません。

 実は禎三郎の中ノ鳥島の発見報告そのものが虚偽だった可能性も指摘されています。まず発見の報告書に中ノ鳥島には大量のリン鉱石が存在し多数のアホウドリが生息しているとあります。リン鉱石は重要な物資でアホウドリの羽毛は高い値段で取り引きされていました。禎三郎は自分の名義でそれらの事業を行う利権を獲得しています。ところが島の開発には巨額な資金が必要となります。前述の海軍省水路部の日本水路誌の情報をもとにガンジス島の発見をでっちあげ、国に島の存在を認めさせて島の探索をさせることまで目論んでいた可能性があります。禎三郎の発見の報告書にも矛盾があります。アホウドリは渡り鳥ですが禎三郎が中ノ鳥島を発見した夏期はもっと北に生息しているはずで中ノ鳥島あたりにはアホウドリはいないはずなのです。


30°05'00.0"N 154°02'00.0"E

 小笠原諸島には中ノ鳥島と間違えてもおかしくない島々がありますがリン鉱石やアホウドリの条件と合致するような島は存在しません。結局のところ中ノ鳥島の発見は禎三郎の勘違いだったのか虚偽だったのかは判明していませんが、中ノ鳥島なる島が実際には存在していなかったことは間違いないようです。

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