早慶戦のリンゴ事件(1933年10月22日)
かつてプロ野球の試合では開催する野球場をホームとするチームが一塁側、ビジターとなるチームが三塁側でした。ですから三塁側のチームが個先攻で三塁側チームが後攻というイメージがあります。しかしながら、これはルールがあるわけではなく習慣です。2004年には日本ハムファイターズが札幌ドームに移転したときにホームチームを三塁側としています。これは三塁側が最寄りの駅からのアクセスが良かったため、地元のファンに配慮して三塁側にしたのです。現在、他に三塁側をホームチームとしているのは楽天イーグルスと西部ライオンズです。その他の球団はすべて1塁側がモームチームになっています。
高校野球の場合にはルールがあってトーナメント表で決まります。縦書きのトーナメント表では左側のチームが一塁側、右側のチームが三塁側にになります。東京六大学野球の場合には先攻が三塁側、後攻が一塁側ですが、例外的に早慶戦に限っては先攻か後攻にかかわらず早稲田が一塁側、慶応が三塁側と決められています。
なぜ早慶戦に限って一塁側が早稲田、三塁側が慶応で固定されているのでしょうか。これは1933年10月22日の早慶戦に端を発しています。この日は秋季リーグの早慶3回戦が行われました。両チームの打ち合いとなり9回を迎えて8-7と早大がリードしていました。この日の試合は普段とは異なる慌ただしさに包まれていました。審判の判定が覆る事件が2回ったからです。最初の事件は2回裏に起こりました。早大投手の投球がストライクとなりましたが慶大の抗議でデットボートルの判定となったのです。8回裏には慶大の二塁への盗塁がセーフとなりましたが、早大の抗議でアウトに覆りました。この判定に対して三塁ベースコーチについていた水原茂選手(後の読売ジャイアンツの監督)が塁審に激しく抗議しました。これらの事件は選手のみならず両チームの応援団にも飛び火していました。
9回表、水原選手が三塁の守りにつくと先攻の早大の三塁側応援席からリンゴの芯が水原に投げつけられたのです。これを水原が三塁側に投げ返すと早大の応援席は沸き立ちました。9回裏に慶大が逆転サヨナラヒットで9-8の逆転して勝利しましたが、このとき早大応援団が慶大ダッグアウトや応援席になだれ込んだこと警官隊が出動するほどの大乱闘になりました。この乱闘事件はリンゴ事件と呼ばれ、処分の行方が注目されましたが早大の野球部長が辞任することで決着しました。
この乱闘事件がきっかけとなり、早慶戦に限ってチーム・応援団とも早稲田は一塁側、慶応は三塁側に固定されることになったのです。伝統の早慶戦に思わぬ伝統ができてしまったのです。
【関連記事】リンゴ事件
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