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2022年10月 3日 (月)

「スター誕生!」放送開始(1971年10月3日)

 歌謡曲が流行し次々と新人歌手がデビューする昭和40年代。昭和46年(1971年)10月3日に始まったのが日本テレビの視聴者参加型のオーディション番組「スター誕生!」でした。

 「スター誕生!」と言うと司会の萩本欽一さんを真っ先に思い出しますが、このテレビ番組を企画したのは審査員を務めていた作詞家の阿久悠さんで、テレビからスターを生み出したいと考えていた日本テレビで放送が始まりました。チーフプロデューサーの池田文雄さんが番組名を「スター誕生!」と名付けそれまでにないオーディション番組とすることになりました。そのような背景もあり放送時間は日曜日午前11時に設定されました。

スター誕生!
スター誕生!

 番組の司会者は欽ちゃんこと萩本欽一さん。最初は司会に難色を示したそうですがスタッフに説得されて引き受けたそうです。さて番組が始まると欽ちゃんが観客から現れ「おはよう」の挨拶の一声をあげます。観客が「おはよう」と応じて欽ちゃんが舞台にあがります。テレビの放送では予選の回と決勝の回があります。

 予選の回では予選会の合格者が曲を歌います。歌い終わるとまず会場の一般審査員が審査を行います。一般審査員の審査は500点満点です。次に5人のプロ審査員が審査を行います。プロ審査委員の1人あたり持ち点は100点です。一般審査員とプロ審査員の合計で1000点が満点で規定の点数(250点のちに300点)以上になると合格となります。挑戦者全員に副賞が渡され、合格者にはブレザーがかけられ奨学金が渡されます。プロ審査員のコメントは辛口のことも多く欽ちゃんは挑戦者をよくフォローしていました。予選の回が最後は合格者がいた場合はバンザイで締めくくられましたが、合格者がいなかった場合は欽ちゃんが「バンザーイ、なしよ!」と締めくくりました。 

 決勝の回は数ヶ月に1回行われます。決勝の回にはいつものプロ審査員の他に芸能プロダクションとレコード会社のスカウトマンが審査にあたります。予選合格者が歌うとプロ審査員がコメントし、スカウトマンが質問をします。すべての合格者が歌い終わると1人ずつ最終結果が発表されます。スカウトマンが会社の名前を書いたプラカードを掲げたら合格となり歌手の道を進むことになります。

 すべての挑戦者の歌が終了すると審査が行われますがその前には「欽ちゃんと遊ぼう」というコーナーがあり、いろいろなゲーム遊びが行われました。このコーナーは欽ちゃんの発案で始まったそうですがとても面白かったです。クロベエこと黒部幸英さん、西山浩司さんがチャンピオンとなり素人がテレビ番組からお笑いの世界に入る先駆けにもなりました。

 「スター誕生!」は最初は応募者ものど自慢的な感じだったようです。本当にスターを生み出すことができることを証明したのは1972年にこの番組から初めてデビューを果たした森昌子さんでした。森昌子さんのデビューで本格的に歌手をめざす挑戦者が増えました。

 1973年には桜田淳子さん、山口百恵さん、城みちるさん、1974年には伊藤咲子さん、1975年には片平なぎささん、岩崎宏美さん、1976年には新沼謙治さん、ピンクレディーなど、その後も石野真子さん、柏原芳恵さん、小泉今日子さん、中森明菜さんなどたくさんの歌手を生み出しました。昭和の歌謡界を支えた番組と言っても良いでしょう。

 やがてプロダクションが個別にオーディションを行うようになると挑戦者も少なくなり「スター誕生!」は1983年9月25日に12年間にわたる役目を終えたのです。

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