かぐや姫「神田川」シングル発売(1973年9月20日)
「かぐや姫」というと南こうせつ・伊勢正三・山田パンダの3人のメンバーのフォーク・グループとして知られていますが、実はこれは「第二期かぐや姫」のメンバー構成です。
「第1期かぐや姫」は昭和45年(1970年)に南こうせつ、森進一郎、大島三平の3人のメンバーでシングル「酔いどれかぐや姫(B面:あわれジャクソン)」でデビューした「南高節とかぐや姫」です。2枚目のシングル「変調田原坂(B面:マキシーのために)」を発表後、「南こうせつとかぐや姫」と改名しました。「第1期かぐや姫」は1年間の活動で解散し、南こうせつだけが活動を続けました。
そして昭和46年(1971年)に南こうせつは後輩の伊勢正三とフォークグループ「シュリークス」を脱退した山田パンダと「南こうせつとかぐや姫」を結成し同年9月にシングル「青春」でデビューしました。昭和47年(1972年)3月にはアニメ「海のトリトン」の主題歌シングル「海のトリトン 」を須藤リカと発表しています。この曲はアニメ「海のトリトン」のエンディング曲として有名です。そして同年4月には初のアルバム「はじめまして」を発表しました。
「かぐや姫」を一躍有名にしたのは昭和48年(1973年)9月20日に発表した「神田川」です。南こうせつはこの曲の作詞を当時放送作家だった喜多條忠(きたじょうまこと)に依頼します。喜多條忠はある日神田川のほとりを歩いているときに学生時代に恋人と三畳一間のアパートで同棲生活していたことを思い出し「神田川」の詩をわずか30分であっという間に書き上げました。そして南こうせつに電話をかけて詩を読み上げました。南こうせつが詩を書き留めている自然にメロディが浮かんできたそうです。喜多條忠との電話を終えた後には曲がほとんどできあがっていました。
「神田川」は三枚目のアルバム「かぐや姫さあど」に収録する曲でしたが、南こうせつがDJを務めていた深夜放送ラジオ番組「パックイン・ミュージック」で披露したところリクエストが殺到しシングル盤を発売する運びとなりました。神田川は160万枚を超えるヒット曲となり、かぐや姫は第24回NHK紅白歌合戦に出場することになりました。しかし、NHKから「神田川」の歌詞にあったサクラクレパス社の登録商用「クレパス」を「クレヨン」とするよう要請があり、オリジナルを重視していた南こうせつは出場を辞退しました。
「神田川」のヒットによって喜多條忠の書いた小説「神田川」が映画化されることになりました。昭和49年(1974年)4月に公開された映画は人気となり、「赤ちょうちん」(同年3月公開)や「妹」(同年8月公開)が映画化されました。しかし、メンバーには映画化の相談もなく、この頃から「かぐや姫」として自分たちがやりたいことと周りの大人たちのビジネスが乖離するようになりました。そうして「かぐや姫」は解散を考えるようになったそうです。
1975年4月12日、南こうせつ・伊勢正三・山田パンダの3人は東京神田共立講堂のステージに立ち「かぐや姫」を解散しました。南こうせつはソロ、伊勢正三は大久保一久と「風」を結成、山田パンダはソロとして別々の道を歩むことになりました。南こうせつはその後20年間ほど「神田川」を封印していましたが、ファンが「神田川」を大切にしていることを改めて認識し再び「神田川」を歌い始めました。
自分が本格的に「かぐや姫」を聴くようになったのは小学6年から中学生にかけてです。お小遣いをためて2枚組アルバム「かぐや姫フォーエバー」を購入したときには「かぐや姫」は既に解散し伝説の存在となっていたのです。現在は昔と違っていつでもどこでも「かぐや姫」の曲を聴くことができるようになりました。かぐや姫フォーエバー!
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