吾輩があの猫である(1908年9月13日)
あれは確か1904年のある日のこと、吾輩は東京都本郷区駒込千駄木町のある家に舞い込んだのである。
この家のご主人は37歳、詳しいことはよくわからないが大学で講師をされていた。吾輩はご主人の奥さんには歓迎されなかったが、精神的に不安定なご様子だったご主人にはあたたかく迎えられた。
あの日から吾輩と先生の生活が始まったのだが、やがて先生は知人にすすめられ筆をとって机に向かう日々を送るようになった。吾輩は先生の傍で先生の暮らしぶりなどを見ながら平和に暮らしていた。
先生はわずかな期間で数十枚の原稿を書き上げ、知人の俳句雑誌に発表された。飼い猫の視点から人間の世界を風刺した「吾輩は猫である」という風変わりな題名の小説だった。先生が初めて創作したこの小説は読者の心をわしずかみにし、一回の読み切りの予定が全11回もの連載となったのである。
吾輩も同じ猫であるが、この小説の「吾輩」はどんな猫なのだろう。この小説はGoogle Booksとやらで読めるようだ。
「吾輩」は猫である。名前はまだない。
どうやら「吾輩」は珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)という中学校の英語の教師のご主人の家で飼われている猫のようだ。名前がないとは気の毒だ。吾輩は幸い夏目家にお世話になり、先生は吾輩のことを「ねこ」と呼んでくれている。同居の犬が「いぬ」ではなく「ヘクトー」と呼ばれていることが少し気にはなるが「ねこ」という名前もそう悪くはない。
「吾輩」は自分の容姿をペルシア産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入り(ふいり)の皮膚を有すると語っている。まわりくどい言い方だが品の良さそうなトラネコということだろう。吾輩と言えば足の先まで真っ黒な黒猫である。
物語の最後に「吾輩」は飲み残しのビールで酩酊して陽気になり水がめに転落して溺れてこの世に別れを告げた。しかし、「吾輩」が語る内容は吾輩が見てきたことのようである。何度も読み直してみたが、どうもこの「吾輩」とはどうやら吾輩のことのようだ。
吾輩は「吾輩」とは違って1908年9月13日に物置のヘツツイ(竈)の上で意識を失い先生と永遠の別れを告げた。先生は吾輩の死亡通知を親しい知人に送り、書斎裏の桜の木に吾輩の墓を建ててくれた。墓標にはに「この下に稲妻起る宵あらん」の句が添えられた。先生は吾輩のことを
「猫の墓」という随筆に記してくれた。毎年9月13日は吾輩の命日「猫の命日」となった。
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