噴火で壊滅した町|ポンペイ最期の日(79年8月24日)
ポンペイはイタリアのナポリ近くのヴェスヴィオ山の麓にかつて存在した古代都市です。この都市はイタリア先住民オスキ人による集落が元になって発展したものです。紀元前256年にイタリア半島中部からやって来たエトルリア人に占領されましたが、ポンペイの人々はイタリア南部のギリシア人と同盟を組み紀元前474年にエトルリア人の支配から脱しました。しばらくは安泰しましたが紀元前424年にイタリア半島を縦貫するアペニン山脈の南部に住んでいたサムニウム人に征服されました。紀元前89年にはローマによって植民地支配されとなりましたが、ローマの重要な物流拠点となり港湾が整備され商業都市として発展しました。
遺跡の調査からポンペイはブドウの産地でワイン醸造の産業が発展していたことが分かっています。また都市には碁盤の目のように道路が張り巡らされており大通りは石で舗装されていました。都市の中心には大きな広場が存在し、ポンペイの街は都市計画に基づいて発展したことが伺えます。ポンペイの街で人々は平和に暮らしていましたが、その平和な暮らしは長くは続きませんでした。
ポンペイの街を襲ったのは他の勢力ではなく62年2月5日に発生した大地震でした。大きな被害を受けたポンペイの人々は街の復興に取り掛かりますしたが復興が未だ道半ばの79年にヴェスヴィオ山が噴火しました。噴火は79年8月24日午後1時頃に発生したとされています。火山灰が一昼夜降り、火砕流が発生するほどの大噴火でした。大地震が発生し、火山灰は降り積もり、火砕流が海に流れ込んだことによって津波も発生しました。これによってポンペイの街は壊滅し地中に埋もれてしまいました。
この災害でポンペイの人々は全滅したわけではありません。ポンペイの人々はヴェスヴィオ山の異常には大噴火の前から気がついていたようです。2万人の市民の多くが事前にローマなどに退避していますが、何らかの事情で街に残り逃げ遅れた約2千名の人々が被害に遭いました。
壊滅したポンペイの街が再建されることはありませんでしたが、この地にかつて都市があったことは古くから知られていました。地中に埋もれたポンペイの古代都市が再発見されたのは噴火から1669年も経過した1748年のことです。ボンペイの街は発掘され古代の貴重な品々が発見され当時の街の様子もわかりました。また火砕流で生き埋めになってしまった人々が固まった火山灰の中の空洞として発見されました。発掘にあたった考古学者たちはこの空洞には石膏を流し当時の人々の様子を蘇らせました。その中には子どもを覆うように庇う母親の姿もありました。
さてヴェスヴィオ山の大噴火が79年に発生したことは間違いありませんが日付については諸説あります。ボンペイの街が再発見され発掘が進むとポンペイの壊滅当時の季節がわかったのです。発見された農作物や衣服などからは噴火したのは秋以降であることが予想されました。また、2018年の発掘調査では決定的な証拠の発見がありました。ある家屋の壁に噴火が「11月の最初の日から遡って16番目の日」と記されていたのです。この記述が正しければヴェスヴィオ山の大噴火は79年10月17日だったことになります。
なおポンペイの古代都市の遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」として1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。
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