グスターヴ・ホワイトヘッドが世界初の動力飛行に成功(1901年8月14日)
世界で初めて動力飛行機による有人飛行に成功したのは1903年12月17日に飛行実験を行ったウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトのライト兄弟とされています。
ところが1901年8月14日に米国コネティカット州フェアフィールドでエンジン付きの飛行機「ナンバー21」が高度15メートル、飛距離800メートルの飛行に成功したという新聞記事が残っています。この「ナンバー21」を制作し自ら操縦桿を握っていたのがグスターヴ・ホワイトヘッドです。
ホワイトヘッドは1874年にドイツ・バイエルン州で生まれ本名をグスタフ・アルビン・ヴァイスコプフといいます。子ども頃から飛行機に興味を持っていたヴァイスコプフは研究を重ねました。1893年にはドイツの航空学者オットー・リリエンタールに会い、1894年に米国に渡りました。このとき姓名のヴァイスコプフが白い頭を意味することから、自身の姓名をホワイトヘッドに改名しました。1897年にボストン航空協会で働くようになり、ここでリリエンタールタイプのグライダーを製作し低空飛行に成功しています。
その後、ホワイトヘッドは飛行機の仕事から離れ1900年にコネチカット州に家族とともに定住しました。ここで仕事の傍らエンジン付きの飛行機の開発を始めました。そして1901年7月26日、自ら開発した動力飛行機で無人飛行に成功しました。そして1901年8月14日に先に述べた動力飛行機による有人飛行を成功させたのです。
次の図の上の写真は1901年にホワイトヘッドが家族とともに撮影した「ナンバー21」の写真、下のスケッチは8月14日の飛行の様子を現場で取材していたブリッジポート・ヘラルド紙のディック・ハウエルが描いたものです。
世界初の動力飛行機による有人飛行の成功がライト兄弟とされているのはホワイトヘッドの飛行の公式な記録が残っておらず写真も存在していないからです。しかしながら飛行機は実際に存在し、公式記録と写真はないものの新聞記事とスケッチは残っています。ただし記事の内容は目撃者の報告と食い違っていたようで信憑性が低いとされています。
ライト兄弟の飛行機を所有しているスミソニアン博物館はホワイトヘッドの初飛行を認めていませんが、同博物館はライト兄弟の飛行機を入手するにあたってライト兄弟以前の飛行記録を取り扱わないという契約を結んでいます。当時、飛行機の開発競争が激しかったことが伺えます。一方、コネティカット州はホワイトヘッドの飛行を人類初飛行と認めています。また英国のジェーン年鑑も人類初の飛行はホワイトヘッドとしています。
後に復元されたライト兄弟の飛行機は飛行に失敗し、ホワイトヘッドの復元機は飛行に成功しています。人類初の動力飛行機による有人飛行を成功させたのはライト兄弟かホワイトヘッドか、この先も意見が分かれるところでしょう。
【関連記事】グスターヴ・ホワイトヘッドが世界初の動力飛行に成功(1901年8月14日)
・クレマン・アデールが世界初の動力飛行に成功(1890年10月9日)
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